幼少期からの「好き」が事業になった。一人のエンジニアが挑戦した、新規事業立ち上げまでの道のり
ソニーには新規事業を生み出す仕組みがあることをご存知でしょうか。その仕組みは「Sony Startup Acceleration Program(SSAP)※」と呼ばれるスタートアップの創出と事業運営を支援するプログラムで、多くの新しい事業が生まれました。その中の一つが、創作やプログラミングを楽しみながら自由に遊べるロボットトイ「toio™(トイオ)」です。今回の取材では、数々の賞を受賞したこの「toio」が、どのように生み出されたのか、そこにはどのような苦労があったのか、発起人の一人である中山さんに話を伺いました。
※SSAPについてはこちらをご覧ください。
- 久藤 颯人
一人のエンジニアとして、一つの研究に出会った
──「toio」に参加される以前にも、新規事業立ち上げに関わる仕事をされていたのですか?
ソフトウェアエンジニアとして働いていました。ソニーに入社してからの10年間は、デジタルカメラなどデジタルイメージング製品群に使われるソフトウェアの設計や、実際にコードを書くことなどをしていました。
──もともと新規事業に携わっていたのではなかったのですね。
担当する業務とは別に、新たな製品や機能を考えることが好きでした。ソニーではよく「机の下活動※」と呼ばれています。デジタルイメージング事業を担当する本部長がそのような活動が好きで、年に1回社員がそれぞれ考えた新しい製品や機能のアイデアを披露するイベントも開催されていました。私もそのイベントが好きでよく参加していたのですが、その経験で新規事業に携わるマインドが育ったのかなと思っています。
※机の下活動とは?
業務の空き時間などを活用して、自主的な開発を行うこと
──「toio」にはいつ出会ったのですか?
ソニーコンピューターサイエンス研究所(以下、ソニーCSL)のイベントです。ソニーCSLに所属する研究者が自分の成果を発表する場でしたが、そこで「toio」の前身となる研究に出会いました。当時は、部屋の上部に設置されたカメラが2つのロボットを認識し、位置に応じた指示をロボットに出して「遊びを拡張する」という研究でした。
──出会った時の印象はどうでした?
感激しましたね。ロボットが勝手に追いかけ合う光景が、幼少期からロボットなどのおもちゃが好きだった私にすごく刺さりました。イベントではその場に張り付いて、使われている技術の詳細についてずっと話を聞いていました。ただ、その技術は複数出展されていた研究発表のうちの一つに過ぎず、話を聞けたのもそのイベント当日だけでした。
──そこからどのように事業化につながっていくのですか?
Seed Acceleration Program(現SSAP)という新規事業を生み出す仕組みの社内オーディションに、イベントで出会った「toio」のプロジェクトが応募するという話を聞いたので、すぐに担当の方に連絡して私もプロジェクトに参加させてもらうことにしました。
毎日が壮絶だった、事業の立ち上げ
──オーディションに応募した当初、事業はどのような状態だったのですか?
イベントに出展した際の技術のままでは大掛かりな装置が必要だったため、おもちゃとして量産化することは困難でした。そのため「自由に動き回るおもちゃ」というコンセプトは固まっている一方で、どのような技術で実現できるかをゼロから考え出さなくてはいけない状態でした。
まずは3カ月ほどで急ぎ技術の目途を立て、半年後には実際に動作するプロトタイプを作ることができました。そして1年後には日本随一のおもちゃ展示会に出展し、同時に予約を開始しました。今振り返るとかなり短期間で立ち上げたなと思いますね。
──随分短期間で進められましたね。その分負荷は大きかったのではないですか?
本当に、壮絶な日々でした。前の職場ではソフトウェア開発チームにメンバーがたくさんいましたが、メンバー2人で事業立ち上げに必要な全ての業務を行わなければならなかったので、経理や法務のことなどを全く知らない状態で自分で契約をまとめたり、国内・海外で生産を請け負ってくれる工場を探したりしました。一方で、本職のソフトウェア部分の開発を私が担当していたので、毎日エキサイティングな日々を過ごしていました。
──すべてが大変だったと思うのですが、特に大変だったことを一つ挙げるとすると?
いろいろと大変だったのですが、その中でも特に大変だったのが中国やマレーシアに赴き、何ヶ月も時間をかけて製品を作ってくれる工場を探した経験です。
全く知らない土地に急に出向いて、「よくわからない」「儲からない」「帰ってくれ」と言われるのは当たり前でした。
──なぜそのような困難がありながらも、折れることなく、事業化を実現することができたのですか?
この製品を世に送り出さなければならないという使命感です。また、プロトタイプで事前にたくさんの子どもたちにテストを重ねていたので、製品を発売することができれば、必ず評価を得られるという自信もありました。
──なぜそこまでの使命感を抱いたのですか?
私自身の人生のテーマとして「生涯学習」を掲げていて、子どもだけでなく、大人も含め楽しく学びを継続することが人生の豊かさへとつながると思っています。「toio」はその「生涯学習」を実現するためのツールになりうると信じていたので、諦めることはありませんでした。
幼少期からの「好き」が仕事になっていった
──「toio」の発売にあたり、社内外の多くの方々と連携されたと聞きました。
まず、ロボットが簡単に互いを意識した動作をしたり、ロボットを紙工作やフィギュアと組み合わせたりする体験は、それまでは存在しませんでした。その点で、「toio」は全く新しい体験を可能にするメディアになったと思っています。
ただし、自由度が高いため、突然一般の人に渡して「これで何かおもしろいものを作ってみてください」と言っても、すごく難しい。だからこそ多くのクリエイターと連携して、「toio」を使ったいろいろな遊び方を考えてきました。
──どのような面で協力してもらったのですか?
「toio」ならではの遊びの体験やコンセプト、世界観などあらゆる面で一緒に検討していただきました。もともとアートやデザインなどクリエイティブな分野が大好きだったので、私自身が以前から気になっていた方々に自らコンタクトして「一緒にお仕事できませんか」とお声掛けしました。
すると、世界で評価されているクリエイターがコンテンツの検討に協力してくれることになり、私たちが実装するという関係を築くことができました。
──ご自身がファンだったクリエイターと仕事ができるのはとても素敵ですね。
そうですね。自分が憧れていた方と仕事を一緒にしたいと思ったとしても、それが実現することはなかなかないですよね。
しかし、熱意をもって連絡してみると意外と話を聞いてくださるものでした。最初はやはり不安もありますが、自分たちが勝手に壁を作っているだけなのかもしれません。適切な理由や目的があればコンタクトしてみるのは悪いことではないので、まずは行動する、飛び込んでみることが大事だと思います。
国内に限らず世界中の多くのクリエイターにお会いしてお話する機会をいただきました。
自分がチャンスをもらってきたからこそ、未来を担う若手にチャンスを与えたい
──「toio」が事業として成長して今に至るまで、中山さん自身の役割も変化してきましたか?
変わってきましたね。事業立ち上げ当初はプロジェクトメンバーが2人だけだったので、企画やソフトウェア、ハードウェアの開発に加えて開発以外の間接業務まで幅広い領域を担当していました。
しかし製品を世の中に広げていく段階では、多くの業務を一人の社員が担当していることは難しさもあります。そのため仕事を細分化して他の人に任せる。それを私が広く管理するという体制に移行してきました。
──いま、特に重要視していることはありますか?
若手にチャレンジする機会を提供することです。というのも私自身、若手の頃から常に自由に挑戦する機会をいただいてきました。
新卒でソニーに入社して、担当する仕事をこなしながら10年間、机の下で自由にアイデアを考える機会をいただきました。また、私たちが始めた「toio」という事業にも、会社は何年間も支援をしてくれています。
だからこそ私自身、若手に対して同じようなチャンスやキャリアパスを提供していきたいと考えています。
──最後に、今後の事業としての目標も教えてください。
子どもだけでなく、大人にも「toio」を広げていきたいです。最初に「toio」を作った時から、子どもだけでなく大人も含めて、自分と同じようにものづくりが好きな仲間を増やしたいと思っていました。
最近は大人向けのソリューションも提供しているので、自分のスキルを伸ばすツール、自分の趣味としてものづくりを楽しめるツールという側面も大事にしていきたいなと思っています。
<編集部のDiscover>
これまで「新規事業」と聞くと、キラキラした華やかなイメージを抱いていました。しかし中山さんの話を伺い、実際は苦労が多く、泥臭く、それでもやりがいのある仕事なのだと感じることができました。また、本当に壮絶な経験を満面の笑顔で語る中山さんの軽やかさも印象に残りました。