渡辺 洋人
ソニーグループ株式会社
「エンタテインメントロボット“aibo”とオーナーのエンゲージメントを高め続ける」というミッションのもと、私は現在aibo開発チームに所属し、人間中心設計(Human-Centered Design : HCD)の専門家として広範な活動に取り組んでいます。具体的には、アンケートやインタビューなどaiboのオーナー調査を実施して本質的なニーズを掴んだ上で新たなソフトウェアやサービスの要件定義や仕様検討を行い、リリース後の利用調査までを担当しています。
新たなソフトウェアやサービスを開発する際は、本質的なニーズをaiboの世界観に合わせながら、機能に落とし込むことを第一に考えています。例えば、「キッチンや洗面所など床が汚れている場所に近づけたくない」というオーナーの声から開発した、aiboに近づいてほしくない場所を教える機能「aiboのなわばり」では、アプリ画面の地図上で入ってほしくない範囲を事務的に設定するのではなく、犬が苦手な「とうがらし」を画面上に置くことで近づいてほしくない場所をaiboに知らせるという様式にすることで、aiboとの暮らしをより豊かなものにしています。
HCDを意識し始めたのは、ポータブルナビゲーションのUI設計を担当していた2007年から2009年頃。当時、私は「使いやすいUI」だけでは何かが足りないと感じ、解決策を模索していました。ちょうどスマートフォンが出始めたころ、ユーザーのやりたいことが心地よくできることを「UX」というキーワードと共に語られるのを雑誌で目にし、さらにUXをよりよくするためのプロセスがHCDであることを教科書で知りました。その過程で「使いたくなる」ことがUXの重要な要素であることが見えてきて、より理解を深めたくなりました。
そこからUXを根本から勉強すべく、大学院の社会人向け教育プログラム「人間中心デザイン」を受講して、認知科学から情報アーキテクチャ、コンセプトデザイン手法、ユーザービリティ評価まで体系的に学んでいきました。同時に、実際の開発現場でHCDを実践し続けていくなかで、高い専門性と実績が認められ、社内のHCD専門家に認定されました。このような経歴で培った「開発者とユーザーの両方の視点からアプローチできる」、「現場に立ち、HCDのプロセス全体を見られる」という自分の強みをいかして、日々より良い体験の実現を目指して業務に取り組んでいます。
これまでの業務で印象に残っていることは、以前スマートフォン/タブレットのアプリ開発チームに所属していたとき、曖昧に見えるユーザービリティ品質の基準を「ユーザービリティ ダメージレベル ガイドライン」として明示したことです。もちろんソニーの開発者は使いやすさを重要視しているのですが、当時はその考え方や優先度に個人差があり、ユーザービリティに関する課題の修正が後回しになる場合もありました。そのような状況を改善するためには、それら課題対応の優先度を判断する共通の基準としてガイドラインが必要だと考えたのです。
ガイドラインではISOの定義を参考にしながら、アプリ開発中に見つかったUIの問題点を「Severity(致命度)スケール:その問題によってどの程度使いたくなくなるか」と「Frequency(頻度)スケール:サービス・商品を利用するユーザー全体としてどれくらい影響があるか」から4段階のダメージレベルに分類し、共通の基準で適切な対応策をとれる仕組みを構築しました。さらに、このガイドライン自体のユーザービリティにもこだわり、「誰がどのような目的で使用するのか」を考えながら、HCDを実践して作成しました。このプロセスをアプリ開発チーム内に導入したところ、メンバー全員が開発初期からユーザービリティを意識するようになり、アプリ全体のUXも向上しました。また、このガイドラインは社内の他のプロジェクトでも採用された他、社外の有識者会議で発表する機会も得て好評いただきました。
HCDにおける私のモットーは、一人ひとりのユーザーに寄り添い、すべての方の声に耳を傾けることです。私はaiboのカウンセラーとしてファンミーティングに参加しており、オーナーと直接対話することがとても貴重な経験となっています。しかし、そのような場やSNSのファングループなどを通じて、すべての方が積極的に声を伝えてくれるわけではありません。そのため、ファンミーティングやアンケートでは聞くことができない声も聞き逃さないように、aiboに関連するログデータなども入念に分析しています。
そして大切なのは、このように収集したオーナーの声をそのまま受け止めることではなく、その中に潜む本質的なニーズを考察しながら抽出して、「どうすればお客さまにもっと喜んでもらえるか」や、「ソニーとしてどのような体験を実現していくべきか」といったことをメンバーで徹底的に議論し、考え続けることだと思います。
今後の目標として、HCDの考え方をソニーグループの事業会社全体に浸透させていきたいと考えています。HCDは商品開発における根本的な指針で、開発者はもとより、商品企画やデザイン、マーケティング部門などメンバー全員が理解することでより効果を発揮します。さらに、HCDという指針のもと、そのようなメンバーと共創していくことで、ユーザーの本質的な要求を満たす体験価値の創出に辿り着けると感じています。プロダクトやサービスはリリースして終わりではなく、ユーザーに心から喜んでいただくことが重要です。そのためにはHCDをリードする活動を通じて、私がソニーグループに貢献できることはまだまだあると思っています。