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絵を描くように設計を。超短焦点レンズの開発者が語る、
カタディオプトリックの奥深き世界
世界初となる1.6倍ズーム「超短焦点レンズ」など、前職での実績を含め30機種のレンズデザインと製品開発を手がけてきた西川純。2020年からDistinguished Engineerとしても活動しています。そした取り組みの背景にある、テクノロジーにかける思いを聞きました。
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西川 純
製品を小型化・軽量化する。その実現に興味がある
──現在の所属や職務について教えていただけますか。
私は2018年まで事業部門に所属しており、それまで主に携わったのは、プロジェクター用投射光学系のレンズデザインと製品化です。教室や会議室、ホームシアター、映画館などで使用されるものを中心に、前職から数えるとこれまでに30機種のレンズデザインと製品開発を行ってきました。そのなかで、20年ほど前から何回かの挫折を経験しながらも現在まで続いているのが、カタディオプトリック(反射屈折)光学系の新しいレンズタイプおよびレンズデザイン手法の開発です。リアプロジェクションテレビ(以下、リアプロ)の薄型化や、超短焦点プロジェクターに搭載されていたこともあり、現在ではヘッドマウントディスプレイ(HMD)への応用も想定されています。
現在は、技術開発を専門とする部署に所属しており、世の中にない光学系を生み出すプロジェクトに関わる機会が従来までよりも増えたことで、一からレンズデザインについて向き合うようになりました。それに伴い、プロジェクター以外の技術領域にも携わることが出てきて、グループ会社の他領域の部門と横断的に関わるケースが増えています。
──専門分野について詳しく教えてください。
カタディオプトリックは、 Catoptric(反射光学の) と Dioptric(屈折光学の)を合成してできた造語で、反射光学系と屈折光学系をハイブリッドに取り入れた技術です。1インチ程度の小さな素子に表示された映像を拡大投射するために、レンズで屈折させるのですが、曲面ミラーを適切な位置に導入することで、今までにない光学系を実現できる可能性を持っています。私が技術者として最も興味があるのは、その利点を活かして、どうすればソニー製品の小型化や軽量化、高性能化を実現できるかにあります。
ちなみにこの技術から派生したカタディオプトリックリレーを用いたプロジェクター製品では、従来の光学系では実現できなかった、至近距離かつ曲面スクリーン上に画像の歪みの少ない投射を実現できることも証明しました。
──そもそもレンズに興味を持ったのはいつからでしょうか。
大学院では、物理学の、特に光物性物理の領域を専門としていたこともあり、極低温化での極微弱光を検出する測定機を製作する過程で、レーザーなどの光学について勉強はしていました。一方で、レンズについては一般教養の授業でも触れることはありませんでした。初めてレンズデザインに出合ったのは、新卒で入社した光学機器メーカーです。映画館用のプロジェクターやホームシアター用の投射光学系のレンズデザインに携わるなど、レンズとの付き合いはそこからはじまっています。
──ソニーへ経験者として入社後、どのような経緯でプロジェクター用のレンズデザイナーとして活躍されたのでしょうか。
私が入社した2000年代前半は、リアプロが価格的にリーズナブルだったこともあり、注目を集めていました。その頃、リアプロは、プラズマや液晶テレビと比較すると、投射レンズを用いた光学エンジンを内蔵するため、構造上、薄型化が難しいという課題がありました。
しかし、社内から上がってきた要望は、「画面の下に配置している光学エンジンのスペースを無くしながら、ディスプレイの厚みを30%薄くするデザインを創ること」という非常にハードルの高い内容でした。
ソニーでは“まだないものをつくりあげるというチャレンジ精神”がDNAとして根付いています。理想の製品を思い描いたら、ひたすらその実現のために誰もが全力で走ります。最初、仕様を聞いた際にはとうてい無理だと諦めかけましたが、来る日も来る日も考え抜きました。その果てに、どうにか画面の真後ろに光学エンジンを内蔵する方法を思いつき、難題をクリアできたのです。
その後、マーケットの変化とともに、現在皆さんが見かけるようなフロントプロジェクターの投射レンズ部分の設計に携わるようになりました。投射レンズ開発担当として、会議室、映画館、シミュレーター、ホームシアター用途などを多数製品化してきました。その中には、Life Space UXで製品化された4K超短焦点プロジェクター(LSPX-W1,LSPX-A1)や、ポータブル超短焦点プロジェクター(LSPX-P1)も含まれます。
実現不可能と思える仕様。
その糸口を見つけた瞬間のやりがい
──これまで手がけたもののなかで、代表的な技術について教えてください。
たとえば世界初となる1.6倍ズーム「4K超短焦点レンズ(LSPX-W1に搭載)」があります。先にも述べた、リアプロの薄型化を実現する超短焦点レンズについては、2000年代初頭の黎明期から、開発を行ってきました。当時この光学系の新しい使い方として、イギリスの学校への導入が検討されていました。プロジェクターから白板へ画面を投射し、生徒たちがプロジェクターに内蔵されているセンサーで専用のペン先を検出することで、インタラクティブに授業を行えるというものです。たとえば、数学の授業で生徒が計算結果を白板に書くと、プロジェクターから正解かどうかが表示されるようなシーンを想定した場合、生徒が振り返っても目に光が入らない仕様が求められていました。そこで、短距離からでも投射が可能な製品を作れないかというニーズが高まり、開発が始まったというわけです。
──4K超短焦点レンズの開発プロセスについて教えてください。
実は4K超短焦点レンズの設計・開発を依頼された時には、他にも複数の製品の設計が同時並行で動いていたうえ、量産中の機種に関する対応にも追われている状況でした。そのため、着手が遅れてしまい、設計は急ピッチで進める必要があったのです。
試行錯誤を繰り返し、仕様に対する要望をクリア。シミュレーション結果をもとにいくつかの設計案から最終的に1つに絞り込んでいきました。超短焦点のズーム化は現在でも難しい設計技術であり、さらに画面サイズを変えながら、画面位置を床側に下がらないような設計的な工夫も必要で、新しく設計技術を創らなければいけませんでした。さまざまなレンズデザインに関わる新しい工夫が必要だったのですが、なんとかうまく形となり、胸をなでおろしたことを覚えています。
その後、2014年米国ラスベガスで開催されたテクノロジー見本市CES(Consumer Electronic Show)での紹介を機に、国内外から注目が集まりました。実は、技術開発では、仕様の要望が出た段階では実現不可能に思えてしまうことが大半です。しかし、試行錯誤を重ねることで、「こうすればうまくいくのでは?」というひらめきが浮かんでくる。課題を解決できる糸口が見つかった瞬間、技術者としては一番やりがいを感じます。
──“ひらめき”を生むためにエンジニアとして心がけていることはありますか。
日々、送られてくる光学系のパテント(特許)や論文については常にキャッチアップし、頭の中に光学系のイメージを蓄積していくようにしています。インプットを増やしておくことで、社内からハードルの高い仕様が上がってきたときにも、「そういえば、こういうものがあった」とイメージを思い出し、設定を変えながら作り上げていくことができるからです。
最先端で走り続けるためには常に謙虚であり続け、自分を見直さなければなりません。勉強といっても、レンズデザインなどのような技術に限ったことばかりではありません。例えば社内でDE Technology Challengeという取り組みがあり、どうすれば高齢者の自立を促すことができるかについて、有志を募って議論する機会がありました。そのプロジェクトを立ち上げた際、普段は接することがない論文を読んだのですが、まったく違う分野について学べたことが良い刺激になり、異なる視点を養うキッカケをつくる事ができています。
レンズ設計は天職。
答えが分かりにくい、曖昧さに魅了された
──長年働いてきた経験を踏まえて、ソニーのカルチャーについて教えてください。
若手エンジニアの疑問に対し、常に正面から応えてくれる会社だと感じています。一度失敗したとしても、何度も挑戦させてくれる度量の深さもある。提示される仕様のハードルは毎回高く、苦しいときもありましたが、納得しながら仕事を続けてこられました。それにソニーは事業領域が幅広く、いろいろな分野の製品に携わる機会が多いため、ブレークスルーできる力が身に付くのかもしれません。さらに若手でもやる気があればさまざまなプロジェクトに起用されるチャンスがたくさんあります。
──レンズの設計・開発の魅力を教えてください。
レンズデザインは、物理学をベースとしています。そして物理学はそもそも厳密かつ論理的な世界。それに対してレンズデザインは曖昧な側面があると、私は捉えています。何もないところから、レンズデザインをする際は、最初イメージを絵で描いてみます。しかし一旦設計をはじめると、もちろん物理現象と合っていないと性能が出せません。イメージとデザインを繰り返しながら、少しずつ答えに近づいていく。論理的な裏付けは必要だけれど、曖昧なところがあって、別のセンスが求められると感じています。それが自分にとっては面白かったし、没頭できた理由です。“論理的な思考ができる人=良い設計ができる”わけではありません。そうした側面が、私には合っていたのではないかと思います。
私は飽きっぽい性格なのですが、レンズにはすっかり魅了されました。昔、冗談交じりに上司から「レンズの設計さえやっていれば静か」だと言われたほど熱中できるテーマでした。いろいろと頭の中でイメージをしながら、設計していく。20年以上、レンズの設計・開発に携わっていますが、奥深いですし、まだまだ先が見えません。だからこそ面白いです。論理性だけでなく、答えが分かりにくいからこそ、レンズが天職だったのかもしれません。
──今後の目標についてお聞かせください。
学会などを通じて、レンズ設計の手法について社外へも積極的に発信していきたいと考えています。これまでは技術を守るという意味で設計の詳しい手法を外に表に出すことはありませんでした。ですが、レンズ設計者として後進の育成にも注力したいという思いが出てきました。そうした取り組みによって、設計の業界を盛り上げる一助になれればうれしいです。
エンジニアとしては、今後もカタディオプトリックリレーを用いた超短焦点レンズやそのデザイン手法についての研究と、それをベースとして、新しいレンズタイプの開拓に注力していきたいと思っています。