Collaboration
医療のDXが加速することで
「すべての人が、納得して生きて、最期を迎えられる」
未来が訪れるかもしれない
Sony Innovation Fundは、有望なスタートアップと協業し、新たなシナジーを生み出すべく、日々模索している。そのパートナー先のひとつに、MICIN(マイシン)という名の医療スタートアップがある。オンライン診療を筆頭に「医療のDX」に挑むMICINとソニーには、どのようなポテンシャルがあるのか。MICINのCEO・原 聖吾と、ソニー R&Dセンターの大森 真二に訊いた。
プロフィール
-
原 聖吾
-
大森 真二
オンライン診療サービスからスタートした意図
──まずは、現在に至るまでの原さんのキャリアについて教えてください。
原:医学部を出て医師としてキャリアをスタートしましたが、その後、医療制度や政策づくりに携わる仕事に就き、留学を挟んで、ビジネスの視点から医療機関や製薬企業へのコンサルティングをしてきました。つまり、臨床、政策、ビジネスと、立ち位置を変えながらずっと医療にかかわってきたわけです。その間、一貫して抱き続けてきた「仕組みの面から医療をよくしたい」という思いの実現に向けて2015年にMICIN(マイシン)を創業しました。
──具体的には、医療のどのような面を「よくしたい」とお考えなのでしょうか?
原:医師として働いていると、日々さまざまな患者さんが医療機関を訪れます。そのとき、「何で自分はこんな病気にかかってしまったのだろうか」とか、「こういう病気になるんだったら、あんな生き方はしなかったのに……」といった発言をされる方がとても多かった。しかし、病気になってから病院を訪れるのではなく、病気に至る前に何かしらの対応ができたケースもあるわけです。もし、医療のデジタル化によって「病気になってからの後悔」をなくすことができるなら、それは価値につながると考え、会社を設立しました。
──そして起業後、まず提供し始めたのがオンライン診療サービス「curon(クロン)」というわけですね。これはどういった狙いを持ったサービスなのでしょうか?
原:通常、医師は患者さんと対面で診療するわけですが、curonはそれをオンラインでおこなうサービスで、医療機関向けに提供しています。オンライン診療によって、患者さんの医療へのアクセスが高まるという側面はもちろんありますが、同時に、健康医療に関する情報がデータ化されていく入り口にもなるだろうという視点を持って事業に取り組んでいます。
MICINは、「すべての人が、納得して生きて、最期を迎えられる世界を。」というビジョンを掲げています。非常にチャレンジングな目標ですが、このビジョンを実現するためのひとつのアプローチとして、オンライン診療に取り組んでいます。今後は、オンライン診療を始めとするデジタル医療を通じて、医療や健康にまつわるデータが集まり、それに基づいて、人が病気になってしまう前のタイミングで変化に気づくことによって、「自分の価値観に沿ったかたちで生きて、死んでいく」といった生き方の「デザイン」に貢献していきたいと考えています。
コロナ禍によって起きた意識の変化
──現在提供しているオンライン診療の具体的なUXについて教えていただけますか?
原:curonは、患者さんはスマートフォンやPC経由で、医師側はPCやタブレットで使うアプリケーションです。患者さんにはアプリ上で予約をしていただき、事前に問診にお答えいただきます。その後、実際に診療の時間になったら医師は患者さんとビデオ通話でやりとりをしながら診察を進め、その上で医師が処方薬を決め、患者さんはスマホ上で決済し、医薬品ないし処方箋が自宅まで送られ、診療が終わる……というプロセスです。
──これはオンラインに限ったことではありませんが、自分の症状をなかなか言語化できない人もいるのではないかと思います。問診時に患者が自分の状態を正しく伝えられているか否かは、どのように判断しているのでしょうか?
原:確かにそこは難しいところです。対面でも同じ課題がありますよね。ある程度サイエンスとアートが交わる領域というか、様子を見ながら、患者さんが感じていることを引き出す技術が重要になってくると思いますし、実際、職人芸のように技術に幅がある領域だと思います。ただ、昨今はAI問診も出てきて、蓄積された知見のもとに診断を促すような聞き方が増えてきていると思います。
──コロナ禍以前、以後ではどのような違いが顕著なのでしょうか?
原:コロナ禍以前にも、オンライン診療に対して理解してくださる方も一定数いましたが、「対面と比べて十分に診療情報が集められないんじゃないか」という意見もいただきました。そうした点を課題と捉えつつ、医療制度に関しても少しずつ変えていけるよう活動をしていましたが、なかなかすぐには広まらないというのがコロナ禍以前でした。
しかしコロナ禍によって、世の中の意識や制度自体も急速に変わり始めました。それを肌で感じたのは、2020年4月〜5月の緊急事態宣言のなか、医療従事者の方々にも感染の不安が広がっていたタイミングです。医療従事者側は、患者さんを受け入れることで感染症のリスクを負うので、対面での診察がなかなか受け入れがたいとなったときに、curonを導入いただいている医療機関の方から、「オンライン診療を積極的にやっています。これは、医療者にとっての見えないマスクなんです」という声をいただき、まさにオンライン診療の価値を表しているなと思いました。
デジタルヘルス分野において、ソニーにできることとは?
──そんなMICINとソニーの関係は、どのような経緯で構築されたのでしょうか?
大森:まず私のことから申し上げると、所属はソニーのR&Dセンターになります。R&Dセンターは、エレクトロニクスや半導体のみならず、エンタテインメントや金融も含め、ソニーグループ全体に貢献するべく研究開発をおこなっており、私自身は、バイオメディカルの研究開発を統括する立場として、メディカル分野の中長期的な成長を支えるための新しい技術の研究開発をおこなっています。
MICINさんとは、有望なスタートアップに対して投資をおこなうSony Innovation Fundを通じて出会いました。デジタルヘルスの分野は、規制や法令がどんどん変化します。その動きに合わせてすばやく事業を立ち上げ、大きくしていくスピードは、スタートアップのほうがやはり速いわけです。一方でソニーには、デジタルヘルスに関連した幅広い技術があります。ソニーが持っている要素技術と、MICINさんのようにパイオニアとして突き進んでいるスタートアップの推進力が組み合わさることで、新しい価値を生み出せるとしたら、非常にすばらしいことなのではないかということで、協力体制を取らせていただいています。
──ソニーのなかでも、デジタルヘルスへの関心が大きかったということですね。
大森:はい。ヘルスケアは今後、大きな柱になると考えています。ただ、例えばオンライン診療の仕組みを社内でゼロから立ち上げることはやらないし、やれない。その点、ソニーは、昔からオープンイノベーションでものを作ってきた歴史があるんです。例えばCDはオープンイノベーションから生まれました。MICINが自前でやるには莫大なコストがかかるリモートセンシングの技術も、現在ソニーは持っているので、手を組めばおもしろいことが起こるのではないかと。
──MICIN側としては、ソニーと組む意義をどこに感じていますか?
原:少し中長期的かもしれませんが、われわれがデジタルヘルスをやっていく上で重要だと考えているのが、普通は気がつかない健康状態や身体の状態の微細な変化を、どのように察知していくのかという点です。例えば、身体の一部を画像に撮ったときに、光の加減や状態によって画像が変わってしまっては定点観測になりません。そうした状況を補正して、実際にはどういう色調なのかをきちんとセンシングすることは非常に重要です。また、脈拍のようなバイタルセンサーは、安静にしていれば取れるのですが、活動している状態でどう正確に捉えるのか、つまりは患者さんの状態をどうつかむかといった、身体のあらゆるデータを取る技術が重要になってくるわけですが、そこはまさに、ソニーが開発しているさまざまな技術と、われわれが取り組んでいることをつなげていくことで可能になってくると考えています。
実際、身体の微細な変化をデジタルで捉えることが、オンライン診療において重要だと思います。医療の将来の姿として、人が普段生活している段階から微細な身体の変化を抽出し、「病気になったから病院に行く」のではなく、変化を察知したタイミングで医療機関の側からいろいろな介入ができる……といったようなことにつながっていくと考えています。
──オンライン診療、デジタルヘルス、医療関係者のサポートといった「医療のDX」の価値は、未病の段階で診察・治療することにある、ということでしょうか?
原:病気の予防や未病の段階での診察・治療は重要ですし、多くの人はそれを望むと思うのですが、私は、納得して病気や死に向き合っていくことが大切だと思っています。例えば、「自分はおいしいものを食べることが好きだから、肉をたくさん食べるんだ」という人がいたとします。その食生活を続けると、心筋梗塞のリスクが増し、寿命は普通の食生活をしている人より短くなるかもしれないけれど、そのことに納得感を持って暮らしているなら、それは一つの生き方なのではないかと思っています。ただし現状だと、身体の微細な変化がわからないなかで暮らしているので、突然心筋梗塞で倒れて「こんなはずじゃなかった」と感じることになる。それこそが不幸なのではないかと思っているんです。医療のDXが進むことで、将来の健康状態が予見され、たとえリスクが高かったとしても、病気になってから医療機関に行くのではなく、早いタイミングで介入でき、治療に向かうことができる。それが、納得して生きていくことにつながると考えています。
──長寿を目指したり、ウェルビーイングを唱えるほかの医療スタートアップとは一線を画する考え方ですね。
原:原:そうですね。これまでの医療のソリューションは、基本的に、健康寿命を長くすることにフォーカスしてきました。それ自体はまったく否定しませんし、実際成果も挙げていると思います。今後、寿命は120歳くらいまで長く伸びるかもしれないですが、病気になって死ぬというプロセスは、少なくともあと数世紀は変わらないと思うので、そことどう向き合うかを真剣に捉えていくことが重要だと、われわれは考えています。
大森:納得感ってものすごく重要だと思います。ある人に早期の予兆があり、病気になり、治療を受け、予後があって……という一貫した流れのことをペイシェントジャーニーと呼びますが、そのジャーニーに対し、一貫したUX、言うなればペイシェントエクスペリエンスをもたらすことが鍵だと思っています。現状では、「何でクリニックの予約を取って、予約通りに行って、定時にサービスが受けられないんだろう」「何でこんなに待つんだろう」「治療を受けてから、何でまた薬局まで行って、そこで待たされてから薬を受け取るんだろう」「何で他の先生からセカンドオピニオンをもらいたいと先生に言うとき、ちょっとビクビクしなければいけないんだろう」といった、いろいろな不満があると思います。それに対して、いまは「医療ってそういうものだよね」という諦念があると思うのですが、今後は、自分が受ける医療に対する価値や、支払う対価の透明性をデジタル技術によってもたらすことで、提供された価値に対して納得した上で対価を払うとか、自分が必要としているときに医療にアクセスできる利便性といったニーズを満たしていく必要があると思います。
3Rテクノロジーが、ペイシェントジャーニーを豊かにする
──そのペイシェントジャーニーを豊かな体験にしていくために、例えばどういったソニーの技術が役に立っていくとお考えですか?
大森:いまソニーでは、「3Rテクノロジー」を標榜しています。リアリティ、リアルタイム、リモートのRです。リモートは、まさにMICINさんがおこなっています。リアリティは、この場合で言うと、音声や画像だけのリモート診療であったとしても、リアリティを感じてもらえるコミュニケーションの仕組みを提供していくことになります。先程、原さんがおっしゃったように、照明条件によって患者さんの顔色や皮膚の状態の見え方が変わってしまうとオンライン診療は厳しくなると思いますが、いかなる照明条件でも正解を出せる技術をソニーは持っています。そしてリアルタイムという意味では、エッジコンピューティングの技術が挙げられます。もちろん、オンライン診療で蓄積されていくデータはクラウド上にアップされ、AI等の解析によって新たな価値を生んでいくわけですが、クラウドにアップする前、患者さんが話している瞬間に、エッジ側でのコンピューティングによって、診療している先生をリアルタイムで支援する情報を提供することも重要だと思います。その点ソニーなら、イメージセンサーを始めとするさまざまなセンサーで取得したデータをエッジ処理し、リアルタイムで医療従事者を支援するソリューションを提供できます。
同じAIのモデルでも、クラウドベースでいくらでも時間をかけていいなら、膨大なモデルが使えるわけですが、ソニーは、スマホにも載るくらいまで小型軽量化したマシンラーニングのモデルを使って、リアルタイムに結果を出すことが得意なので、そうした技術を、オンライン診療に組み合わせて、新しい価値を生み出せないかと考えています。
──そうしたソニーの技術と連携することで、今後、どのようなサービスが生まれてくる可能性があるのでしょうか?
原:いま大森さんがおっしゃった技術は、われわれが取り組んでいる分野と重なる部分が多々あると思います。色調補正や音源分離のような技術を活用すれば、医療従事者と患者さんのコミュニケーションが円滑になり、診療の質がより高まるはずです。個人的には、聴診にせよ触診にせよ、今後はリモートでも再現できるようになると思っています。そうした技術の組み合わせが、医療支援の課題を解決する糸口になればと思います。
大森:以前、ある医療関係者からお聞きしたのですが、一見すると高度な検査とは思えない聴診によって、実はさまざまな情報を得られるそうですが、きちんと聴診できる先生は意外と少ないとのことでした。その領域を、オーディオテクノロジーによって支援することもできるはずで、その延長線上には、オンライン診療に活かしていける要素もあると考えています。
原:聴診は興味深いんです。長きにわたりイノベーションがなかった領域なので、その分野でDXが起きると、いろいろな疾患を聞き分けられる技術につながる可能性があります。これまでは人が聞き分けられる音域でしかやっていませんでしたが、本当は、音って人の可聴域の外側にも広がりがあって、そこは、デジタルでカバーできることもあるはずなんです。これまでは聞き分けられなかった音域から異常を見つけ出す……といったことが可能になると、対面での聴診より、むしろ一歩進んだ診断ができるようになるかもしれません。
世界の医療から後れを取らないために
──医療の分野にソニーの技術が加わることの意味を、改めて教えていただけますか?
大森:もちろん、きちんとエビデンスベースでおこなうことは重要ですが、その一方で、患者さんのエンゲージメントも重要だと思っています。例えば生活習慣病の場合は、日頃の生活のなかで改善していかなければならないわけで、それを支援するアプリも登場しています。ただ、なかなか続かないと言われています。バーチャル治験などでも、病院に行かなくても治験に参加できるのはメリットですが、患者さんは記録をこまめに入力する必要があり、それが大変で治験から脱落するケースも少なくないと聞いています。そうしたところは、ソニーが持つエンタテインメントで培った技術を転用しつつ、MICINさんのような専門性の高い会社のニーズと組み合わせて、患者さんのエンゲージメントを高めていけるのではないかと思います。
──医療のDXが進むことで、生体データは今後ますます価値を持つようになると思いますが、それを提供することでえられるリワードが設計されていると、納得して死を迎えられるという部分に近づいていくのかもしれませんね。
原:そういう事例が少しずつ出てくることがとても重要だと思います。現状だと、データを提供したり、センサーでモニタリングされるにしても、「それをすることで、自分にとってどんなメリットがあるのか」が見えないとなかなか続かないでしょうし、逆にそれらが医療上のアウトカムとして見えるようになってくると、より医療のDX化が加速するのではないかと思います。
大森:正直、海外と比べると、日本のデジタライゼーションのスピードは、残念ながら劣っていると言わざるをえません。カルテにしても、日本はまだ手書きが多いです。アメリカは電子カルテの普及率が高く、それをベースに未来のデジタル医療を作っていけます。そのようななかで、MICINさんのようにデータ化を促す会社の勢いが増し、主流化していかないと、日本の医療は世界の医療からどんどん遅れていくのではないかと感じています。そうならないためにも、医療をデジタル化する意義をソニーとしても唱え続け、医療従事者にとっても患者さんにとっても望ましい未来を呼び寄せる手助けができればと思っています。