Cutting Edge
「アクセシビリティ」技術の探求とソニーが目指す未来の相関性
2019年3月にテキサス州オースティンで開催された世界最大規模のクリエイティブ・ビジネス・フェスティバル「SXSW(サウス バイ サウスウエスト)」に3年連続で参加したソニーは、今回、新たなる試みを発信した。「インクルーシブデザイン」への取り組みである。「CAVE without a LIGHT」というかたちで結実したこのプロジェクトにかかわった、武上 有里、古賀 康之、鈴木 淳也に話を訊いた。
プロフィール
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武上 有里
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古賀 康之
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鈴木 淳也
「CAVE without a LIGHT」の背景
──2019年のSXSWで発表した「CAVE without a LIGHT」という体験型展示はどのようなプログラムだったのでしょうか?
武上:暗闇という視覚を遮断した空間の中で、音響の信号処理と、残響音の生成効果と、ハプティクスの技術を使って会場内に「暗闇の洞窟」を再現し、体験者にはその空間内を探索していただきながら、最終的には音楽のセッションを楽しんでいただく……というプログラムでした。
──体験者は、周囲がまったく見えないわけですよね。視覚情報がない中で、どのようにして「洞窟」を再現したのでしょうか?
古賀:体験者にはまず、明るい部屋でリフトに乗り込み、オープンイヤーのイヤホンを装着していただきます。次に部屋が真っ暗闇になり、振動や立体的な音が流れて「地下にある洞窟」に降りていく疑似体験をします。
洞窟に到着すると、シーンとした雰囲気の中、コウモリがバサバサッと自分の周囲を飛びまわる音が響き渡ります。そこで立体的な「音の定位感」や「音の反響効果」を体験してもらいます。
鈴木:手を叩いたり声を出したりすると、マイクがその音を拾ってリアルタイムにリバーブ音を生成し、オープンイヤーのイヤホンで再生するようなシステムになっています。今回は、残響の大きな洞窟で実際に測定した残響特性データを使用したので、体験者はあたかも洞窟空間にいるような音の広がりを体験することができます。
古賀:その後、体験者にはリフトに備え付けられた小さなボンゴを叩いて音楽セッションに参加していただきます。隣の人がボンゴを叩くと、叩いた音をマイクが拾い、リフトに仕込んだハプティクスのシステムによって床と手すりが振動することで、音や触覚で自分や他人のプレイを感じることができるんです。
武上:そのうちギターやキーボードやボーカルが加わり、曲がどんどん盛り上がり、観客の声も聞こえはじめて音楽セッションがピークに達したところで、部屋が明るくなって、暗闇の洞窟から瞬時に現実世界に戻ってくる……というわけです。
古賀:ボンゴを叩いているうちに歌いだしたり、踊り出す人が思いのほか多くて、正直驚きましたし、感動しましたね。やっぱり「音楽は言語を超えるんだな」と。
ソニーが考えるアクセシビリティとは?
──今回の「CAVE without a LIGHT」は、ソニーがインクルーシブデザイン(多様なユーザーを包含・理解することで新たな気づきを得て、一緒にデザインする手法)によって創りあげた新しい顧客体験を通じて「アクセシビリティ」について取り組んでいることを対外的にアナウンスした最初の事例となりましたが、改めて、「アクセシビリティとはそもそも何?」「なぜソニーがアクセシビリティに取り組むのか?」といった点について教えていただけますか?
武上:よく言われるのが「ユーザビリティとどこが違うの?」という点なのですが、ユーザビリティの追求が「使い勝手の向上」につながるのに対し、アクセシビリティの追求は「使える人を増やす」ことにつながっていきます。年齢や障がいなどによる制約にかかわらない使いやすさの追求と言えます。怪我や病気を患うなどで一時的に制約を抱えたり、外国で言葉が通じないといったケースも含まれます。
そういった方々にあらゆる状況で使っていただける製品やサービスを提供していくことが、ソニーの社会的責任なのではないかということで、アクセシビリティに配慮した製品やサービスづくりに取り組んでいるんです。
──アクセシビリティに似た概念として、例えばバリアフリー、ユニバーサルデザインなどが挙げられると思います。それらとは、どう違うのでしょうか?
武上:バリアフリーは、建物というかファシリティの部分で使われている言葉ですよね。ユニバーサルデザインは、要は「みんなが使えるようなデザイン」です。アクセシビリティは、年齢や障がいなどによる制約にかかわらない使いやすさであり、可変やカスタマイズも含めて定義しています。
一方で、インクルーシブデザインは「手法」になります。インクルーシブデザインをすることで多様な視点を取り入れ、技術の質を上げ、幅を広げることができます。今回の「CAVE without a LIGHT」でいえば、全盲の鈴木さんと共同で開発をするといったプロセスが非常に重要になってきます。それによって、普段は自分たちが気づけないような新たな発見や潜在的なニーズを見出して、見える人も見えない人も楽しめる体験を創りあげました。インクルーシブデザインから生まれる新しい顧客体験は、結果として多様な人々が使いやすくなるアクセシビリティに配慮した製品やサービスをつくる、ということだと考えています。
鈴木:歴史的に言うと、音声インタラクションが好例だと思います。いまは、音声認識や音声合成などもありますが、もともとは目の見えない方々のために開発された技術なんです。それが、時を経て誰もが使えるインターフェイスになっているわけです。そういったことを考えると、制約をチャンスと捉えて、大多数の一般ユーザーだけではなく、障がいを持つ人たちにもきちんと使えるようにすることが、製品やサービスの向上になると考えます。
武上:ソニーでは、インクルーシブデザインを行うことで新しいテクノロジーや新しいクリエイティビティの可能性が拡がると捉え、品質・環境部やR&Dセンター、クリエイティブセンターといった部署が組織を超えて集まり、取り組んだのが今回のSXSWでした。もともとは社内のアクティビティだったのですが、それが評価され、SXSWにまでつながったのです。
音で情報を提示する意義
──鈴木さんと古賀さんは、「CAVE without a LIGHT」に携わる以前、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
鈴木:僕は、「音」でいろいろなところに旅することができたらと思い、いろいろな場所の残響特性のリアルタイム再現に挑戦しました。リアリティを高めるためには、長い残響を正確に再現しなければなりません。一方、リアルタイムに残響成分を作り出すには、計算量を少なくしなければいけません。しかし、長いリバーブを実現しようとすると計算量が多くなってしまうので、さまざまな計算を工夫して実現しました。その応用技術が、「CAVE without a LIGHT」でも使われています。
古賀:私はここ数年、ネックバンド型ウェアラブルデバイスを制作していました。音を定位するための技術によって、首元にあるスピーカーの音がまるで耳元で鳴っているような感覚で、音楽を聴いたり音声情報を取得することができます。昨年、この音を定位する技術を使ったSound ARのプロトタイプ開発を行い、社内のイベントに展示したところ、鈴木さんが開発したリバーブの技術と組み合わせることで新しいチャレンジができないか?という話になり、今回の「CAVE without a LIGHT」へとつながりました。
鈴木:視覚障がい者向けに「音で情報を提示する」という研究は、実は40年ほど前からたくさん行われてきました。でも、なかなか製品にならなかったり、製品になっても市場で受け入れられませんでした。その決定的な理由は、いくらいい情報が音で提示されても、特に歩いているときに耳をふさぐのは、非常に危険だからです。僕ら全盲の人間は、周囲を音で把握していますからね。その点、特に古賀さんが開発したネックバンド型ウェアラブルデバイスは、周囲の音を遮断することなく、プラス、音で情報を提示できるのが、画期的な一歩だと思います。
古賀:ありがとうございます。この商品は、サンフランシスコで実証実験を行っていたのですが、とあるデモの会場で全盲の方に体験していただいたとき、「これはいつ発売されるんだ。まさにこんなデバイスを待っていた」と声をかけていただきました。その体験を経て、「この技術があれば、空間を把握したり、音を立体的に再現したりできるし、その過程で情報に何かフィードバックを与えていけば、自分に必要な情報だけを取得することができるはずだ」と思うようになりました。別の方には、「多くの人が情報やデバイスに縛られている、ということに気づかせてくれた。このようなデバイスや技術が、人々のこれからのライフスタイルを変えてくれるかもしれない」というフィードバックをいただき、この技術の可能性を感じたんです。
物理音響と心理音響
──今回、インクルーシブデザインというかたちで鈴木さんとお仕事をされてみて、古賀さんにはどのような気づきがありましたか?
古賀:最初にお会いしたときにとても印象的だったのが、実はみんなが聞いている音は、空間の中に漂っているホワイトノイズみたいなものが壁から反射していて、それをリアルタイムに聞いているということを教えていただいたことです。ただ、みんなは聞きたい音だけを聞くので、ノイズみたいな音はあまり耳には入ってこないのですが、視覚に障がいのある鈴木さんは、例えば壁に近づくと壁からの反射が強くなるので、「壁のほうに来たな」ということがわかるとおっしゃって、「えっ!?」と思ったんです。
鈴木:壁があることによって周囲の音が反射して、直接聞こえる周囲音と壁からの反射音が、耳のところでぶつかるんです。そうすると、波形が足し合わされるので音が変化するんです。壁と自分との距離によって、波形の時間的なズレが違ってくるので、当然音質が変わってくる。この現象をカラーレーションというのですが、そういったことをヘッドホンやイヤホンで再現できると、すごくリアリティの高い、「何かが迫ってくるぞ」といったことを再現できるかもね、といったお話をさせていただきました。
古賀:その場で、試しに私も壁に近づいてみたのですが、全然わからなくて(苦笑)。わからないけどそういうものなんだなということは理解しました。ある時、遠くで鈴木さんが歩いているのが見えて、しばらく拝見していたのですが、壁を伝って歩いているわけではないのに、普通に角を曲がっていて、「あっ、本当にわかっているんだ」と改めて驚きました。
鈴木:みんなにびっくりされますが、明らかに音が違うので、僕としては普通に歩いているだけなんです。だけど、おもしろいなと思うのは、耳元の音を再現するバイノーラル録音では、ものが近づいてくる感じ、つまりカラーレーションを感じられないんです。何か、耳元に届いている音だけではない、ほかの要因で、僕は空間を認知しているのだと思います。そこは、いろいろ掘り下げなければいけないところなのですが、そのへんに、リアリティにつながる鍵があるのではないかと、ワクワクしています。
──それこそ音は波形なので、耳ではなく、例えば肌とか内臓で感じている可能性はありますよね。
古賀:それはあるかもしれません。最近、オーディオのエンジニアと集まって話をしているのですが、波形はある程度再現できたとしても、それを人がどう認知するのかは人によって変わりますし、ましてや、空間とか距離を人はどう把握しているのかというと、まだわからないことが多く、何を優先して再現すればリアリティにつながるのかは、ひたすら実験を繰り返すしかないと思っています。なのでいまは、技術的な部分と認知的な部分の両方からアプローチすることが必要だと考えています。
鈴木:音響技術って物理的なアプローチ、例えば実際に波面があったら、それを正確に再現するというアプローチと、人間が頭の中で何かしらの解釈をして「これは何の音だ」と認識する心理的なアプローチの2つがあって、それを物理音響と心理音響と呼ぶんです。
物理音響には測定器もあるし、計算方法もいろいろ考案されていますが、心理音響の部分は、まだまだ掘り下げる余地があると思っています。
聴覚の研究は、人の研究
──物理音響と心理音響、その双方からのアプローチが深まり、その結果が製品やサービスとして社会に実装されていったとき、どのような価値を生み出すと思いますか?
鈴木:高齢社会を迎えるにあたって、いろいろアシストが必要になってくると思います。ひとつには、わかりやすいところで聴覚拡張があるかなと思います。音を大きくするというだけではなく、情報が溢れすぎている中で、「本当にいまほしい情報」を絞り込んでいく、という技術です。それこそ聴覚には、カクテルパーティ効果というものがありますよね。大勢の中から、自分が聞きたい方向、聞きたい声を「選択的」に聞けるという人が持つ特性です。
高齢になると、そうした選別する力が弱ってくることが研究によって報告されていますので、そういったところを補うことが、聴覚ベースでもいろいろできると思っています。
──聴覚分野の研究開発というのは、人間をもう一段階よく知るためのきっかけになる技術なんですね。
鈴木:そう思います。僕は音響の分野だけでやっていますが、これまで音声合成とか音声認識、そしていまはオーディオ全般に携わっています。その分野だけを見ても、人間の営みというのはすごいなと感じます。そこにどう近づくのかということを考えていくだけでも大変な仕事ですが、同時に期待に胸が膨らみます。
──そのうちソニーから、「人間は五感ではなく八感、いや十五感だった!」みたいな宣言がなされたらおもしろいですね。人間の新しい認知のしかたが解明されたというか。
古賀:そうですね。そういうことが近い将来ポロッと出てくるといいのですが。そういう意味でも、人を研究する分野と言えると思います。人を理解するといっても、やはりバイアスがすごくかかっていて、そのバイアスを外すためにも、いろいろな人と話さないといけませんし、今後ますます、インクルーシブデザインというものが重要になってくるのかなと思います。
武上:ソニーらしいアクセシビリティ、というのが今後の大きなテーマになっていくと思うのですが、今回古賀さんと鈴木さんが一緒にやることで、これまでエンジニアが気づかなかったことに多々気づくことができました。見えない人も見える人も楽しめる。FUNを届ける。そんな未来を描きたい。それを続けていきたいと思っています。
古賀:テクノロジーって、やっぱり人に寄り添わないといけないと思います。作る側も人で、体験する側も人じゃないですか。AIが技術という観点だけで進化していくと、賢くはなると思うのですが、だんだんつまらないものになったり、ほしいものではなくなっていく気がします。その点に関して、作る側がより意識をすることが大切だと思います。具体的には、作る側に多様な人が集まっていることがとても重要で、そうすると、完成した製品やサービスを受け取る側もそれだけ幅が拡がると考えています。やりたい技術や仕組みはたくさんありますが、そうしたアプローチとしてのインクルーシブデザインというものを、僕なりに解釈してこれからも開発を続けていきたいと思います。