Collaboration
起業プロセスを可視化し、
オープンイノベーションを加速する
ソニーはスタートアップの創出と事業運営を支援するプログラム「Sony Startup Acceleration Program(以下、SSAP)」を2014年にスタートし、アイデア創出から事業化、販売、拡大までを一気通貫でサポートする仕組みを整えてきた。2019年度からはより一層多くのアイデアや人材が交流し、プログラムを通じて新しいスタイルのオープンイノベーションを実現できるように社外にも利用頂けるプログラムに発展させた。このプログラムの事業化支援で培ってきたノウハウをもとに開発されたのが、事業ステータスを可視化・分析できるWebアプリ「StartDash(スタートダッシュ)」だ。このアプリがオープンイノベーションをどう加速し、これからの社会に貢献していくのか。開発担当者たちと実際にアプリを使って新規商品開発を行った京セラ株式会社のプロジェクトリーダーに話を訊いた。
プロフィール
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小田島 伸至
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立花 誠
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稲垣 智裕
ソニーの源流にあった、オープンイノベーションの思想
──小田島さんは、SSAPの前身であるソニー社内での新規事業立ち上げを支援するSAP(Seed Acceleration Program)を発案されましたが、そのアイデアはどのような背景から生まれたのでしょうか?
小田島:私はソニー株式会社(以下、ソニー)に入社後、デバイスマーケティング部に配属され、そこで10年ほど事業運営を学びました。海外赴任中には、幸運にも数百億円規模の事業をゼロから立ち上げ、その後本社のグループ戦略部門に異動。ソニーの全社的な課題に触れることができる立場になったのですが、あるタイミングで事業部などから送られてくる事業計画に、全くの新規の事業アイデアが少ないなと感じたんです。当時は組織のスリム化を図っていた時期でもあったのですが、10年、20年先を考えたときに非常に危機感を覚えました。そこで現場を見てまわると「真新しい事業アイデアはあるが提案する場がない」「どう事業化すればいいかわからない」など、多くの新規アイデアがありながら、さまざまな理由で事業化に至っていないことがわかりました。
海外の他社を調査してみると、創業者が退任されて久しいセカンドジェネレーションの会社は、新しいアイデアを吸い上げる仕組みを組織として持っており、そのアイデアをもとに技術やノウハウを持った企業と協業し、スピーディーに事業化を行っていました。こうしたオープンイノベーションの発想や仕組みをソニーでも取り込めないかと役員に相談したところ「ソニーは昔からそうだよ」と言われ、そういう目で過去を振り返ってみると、フィリップス社と提携して開発されたCDフォーマット技術しかり、外部と協業してソニーは多くの事業化を実現させていたと気づかされました。オープンイノベーションという言葉は後から出てきただけで、ソニーの源流にはすでに共創の思想があったことに、まさに目から鱗でした。
そこで改めてソニーのスタートアップの力に注目し、SSAPの前身となる社内の新規事業を支援するSAP(Seed Acceleration Program)を発案。その結果34件の事業アイデアを育成、14の事業を生み出すことができました。代表的な例ではトイ・プラットフォーム「toio™」やスマートロックの「Qrio」、ハイブリッド型スマートウォッチ「wena wrist」など、このプログラムがなければ、恐らくいまだに机の下に眠っていたと思います。その間に、社外の方からも新規事業の相談を受けることが増え、同じような悩みを持った方々が多くいることに気づきました。これに手を差し伸べたいと思ったのと、SSAPの次のステップとしてオープンイノベーションを活性化させより大きな世界をつくる時期だと思い、社内向けのプログラムやインフラを整えて社外に開放しました。
スタートアップに潜在する5つの課題
──外部にサービスを提供するにあたり、事業化支援WebアプリStartDashを開発されたとのことですが、その狙いや目的は何でしょうか?
小田島:SSAPではスタートアップの5つの課題に取り組んでいて、1番目は、何をするにもアイデアと人材が不可欠であり、それを発掘すること。2番目は、起業のノウハウやナレッジを標準化し、誰もが事業を始められるようにプロセスを整備すること。3番目は、スタートアップは経済規模が小さいので、常にリソースが足りません。そこにリソースを供給するとともに、新しい事業にはスタートアップの段階が大事だという文化を作ること。4番目は、スタートアップには多くのハードルがあり、その障壁をテクノロジーの力で解決すること。5番目は、事業を拡大できるように、協業や出資、提携などのアライアンスを促進させるドメインの創出です。本日お話しするStartDashは、その4番目の課題を解決するWebアプリケーションになります。
開発のきっかけは、これまで私は多くの事業を見てきて、ほとんどの会話が事業化に必要なタスクのチェックに費やされ、「コア技術は何か」「お客さんの課題は何か」というクリエイティブな議論が後回しにされていたことでした。これをなんとか逆転させて、課題解決というクリエイティブな議論に集中して欲しいという想いがありました。そこで立花と一緒にはじめたのが、StartDash(スタートダッシュ)の開発でした。SAP時代に書き溜めてきた多くの質問リストを一度棚おろしして、事業化に必要な要素をあらかじめチェックできるツールができないかと検討をはじめました。
──StartDashは事業の立ち上げにどのような役割を果たすのでしょうか。また、実際のアプリ開発ではどのような苦労があったのでしょうか?
立花:StartDashは「新規事業をやりたい」「自分のアイデアがビジネスになるのか見たい」「事業計画書のつくり方がわからない」など、新たに事業をはじめたい人を助けるツールです。これまでにSSAPが培ってきた新規事業支援のノウハウが散りばめられていて、チェックリスト形式の質問に回答するだけで、自分の事業アイデアに足りないもの、できていないものがすぐにわかり、やるべきタスクを事前に把握できます。また、質問の回答内容から、システム側で自動的にドキュメントを作成し、事業計画書ができあがります。それをプリントアウトすれば、そのまま投資家への説明資料にもなり、自分の事業アイデアの仮説検証や投資家からの資金調達にも役立つものになっています。
このアプリ開発の背景となっているのが、私自身のエンジニア時代の経験です。いろいろな試作をつくったり、商品のアイデアを発想したりしていたのですが、実際のビジネスまでに至らないことが自分の中の課題としてありました。SSAPに関わるようになって分かったのが、いかにアイデアが優れていても、ビジネスの全体像を知らないと事業化できないこと。過去の自分を助けるために何が必要かを徹底的に考えました。その答えが、最低限やらなければいけないタスクをチェックリスト化し、チャート形式のように順番に学んで解くことで事業の全体像を把握できる、起業家に伴走してくれるWebアプリのあり方でした。
そこでまず着手したのが、SSAPの活動の中でそれぞれの事業領域の専門家が、数年がかりで溜めた600以上に及ぶ質問リストから重複する内容を洗い出し、誰もが理解できるように噛み砕いて、400問ほどに絞り込みました。また、各質問の関係性を洗い出してプログラムのような経路をつくることで、起業のプロセスを網羅的に可視化し、順番どおりに進めていけば答えが必然的に導き出せるようにしました。加えて、多くのスタートアップでつまずく要因などを分析し、チェックリストを改善することで、事業の再現性を高めました。これによりひとつのアイデアからスタートし、ビジネスモデルのさまざまなフレームワークや数値計画、事業計画書までが、質問に沿って回答するだけで自動生成されるように設計。これまでばらばらに点在していた事業の要素をつなぎ体系化したツールに昇華させました。
UI・UX設計では、HOME画面で2つのフェーズ、5つのカテゴリーを分かりやすく表現したプロセスチャートによって事業準備の流れを視覚化。事業アイデアの進捗状況がひと目で分かるようにしました。実際に進めていく際には、例えば後半に出てくる数値計画で、全然儲からないということがわかり、序盤の質問に戻らなければならないケースもあるのですが、それに気づかないままビジネスが進んでしまうことの方が大きな損失を生んでしまいます。StartDashは、実際のビジネスが始動する前に、リスクに少しでも早く気づける効果があります。また、チャート形式にすることでゲームのように攻略できると同時に、事業計画のドキュメントができあがっていく達成感を得られるようにし、事業という長期プロジェクトにおいて起業家のモチベーションを維持できるように工夫しました。さらに、StartDashによって作成された事業計画書は、投資の判断材料になるものを網羅し、ドキュメントを標準化することで投資判断の手間も省けるなど、起業家だけでなく投資家の目線からも設計しました。
さまざまな視点や立場から可視化し、
アイデアに対する共感をつくる
──今回、京セラ株式会社(以下、京セラ)の稲垣さんは、SSAPの活動を通じて仕上げ磨き用の歯ブラシ「Possi」という商品を開発されましたが、どのような経緯でSSAPのプログラムに参加されたのでしょうか。実際に「StartDash」を活用してみて、どのような感想を持たれましたか?
稲垣:私は、京セラのメディカル開発センター部門で、京セラの圧電素子をキーデバイスとしたアクチュエーター開発を行っていて、この技術を使ってメディカル用品が作れないかと考えていました。ちょうどその頃、ソニーにSSAPというスタートアップを支援するプログラムがあるから活用してみてはどうかと声がかかり、メディカル開発センターの所長から私が指名されてSSAPのプログラムに参加しました。当時、社内で歯ブラシを作ったら面白いのではないかと冗談半分で言ったことがあって、他にもいくつかアイデアはあったのですが、みんながやってみようと言ってくれたのがこの「音の鳴る歯ブラシ」でした。実現できる保証はまったくありませんでしたが、ソニーとならトライする意味があるのではないかと思いました。
最初は5人のチームでSSAPのプログラムに参加したのですが、StartDashをはじめた途端、意見の食い違いが生じました。普段みんなで話し合いながら進めると、議論が拡散しがちなのですが、このStartDashが共通言語になり、ひとつの方向性で議論することで、意見の違いが顕在化しました。しかし、こうした議論を重ねるごとに、事業の可能性がないものは前もって排除できるなど、スピーディーに事業化を検討できたと思います。さらに言えば、すべてにおいて自分の視野を広げてくれましたのがStartDashです。特に大企業は承認する方の人数が多く、企画や開発、財務や物流など、それぞれの立場の人がいて、それぞれで思惑が違います。StartDashは事業計画の全体像を可視化して、ひとつのアイデアをさまざまな視点や立場で見て、相手の立場から意見が言えるので共感も得やすくなりました。
──今回のプロジェクトの初期段階でライオン株式会社(以下、ライオン)も参加されたそうですが、どのような経緯で参加されたのでしょうか?
稲垣:ライオンさんが参加するきっかけは、歯ブラシを作るならメーカーと組まないと事業化が厳しいというのがStartDashに示されていたからです。プログラムをはじめてまだ1カ月ぐらいでしたが、「Possi」が具体的なカタチになるはるか前の段階で、すでにパートナー探しに走り出しました。そこでライオンさんと巡り会ったのですが、その方たちがいなければ事業の継続性がないことがわかっていたので、こちらも必死で説得しました。歯ブラシの形をつくるだけなら京セラ社内でも可能だったでしょう。しかし、一般市場で京セラの歯ブラシが受け入れられて、安心して子どもの口に入れられるかというと難しいと思います。このような示唆があったからこそ、即座に次のアクションに移ることができました。
立花:StartDash側では、プロセスチャートに沿ってチェックリストに回答していくことで、新しい商品をつくるための構成要素をすべて洗い出して、事業を進めるためには、どんなリソースが必要で、どこから調達できるのか、あるいはどこと組むべきかなど、商品が市場で勝つための構成要素で足りないものや、事業の弱点を可視化でき、あらかじめリスクを回避できます。Possiの場合はブラシの部分は、他社さんから調達すべきなんだと気づけるようになっています。
稲垣:これに気づけるかどうかで、プロジェクトの進行は半年以上かわってきます。また、商品が形になる前から「一緒にやりませんか」と声をかけたからこそ、ライオンさんもプロジェクトに共感して参加してくれたと思います。もしStartDashがなければ、3社でのオープンイノベーションも実現しなかったと言っても過言ではありません。
オープンイノベーションがもたらした、
深いところにある社会問題の顕在化
──ソニーと京セラ、そしてライオンの3社協業を通じて感じた、オープンイノベーションの可能性について教えてください。
稲垣:最初にSSAPで言われたのが、「この事業をやる必然性が必要です」と。自分がやりたいだけでなく、周りの人も一緒に進めていく動機になる社会的な意義。そういう哲学がないとみんなついてこないと。ただ「歯ミガキが楽しくなる」と言うだけなら、ライオンさんも恐らく協力してくれないし、社内の賛同も得られなかったと思います。事業なので、当然利益を出す必要性がありますが、スタートアップの段階では、このモチベーションやエネルギーを引き出す「誰かの役に立つ」という意義は欠かせません。「オープンイノベーションをやりましょう」と言うだけではダメで、それには他者を巻き込むエネルギーが大切だと気づかせてくれました。
「社会的な意義」というビジョンを実現する土台をつくることで、Possiをクラウドファインディングで発表したときに「うちの親は認知症で歯ミガキに困っている」「うちの子は知覚過敏で歯ミガキを嫌がります」という声が届きました。親子の歯ミガキの問題だけでなく認知症の方など、その先の深いところにニーズがあることに気づかされました。今の社会が抱えている介護の問題そのままで、こうした新たな課題に対しても早いうちに受け止めたいと考えています。
小田島:アイデアを発想した稲垣さんだからこそこうした声が集まるのであって、やはりアイデアと人材が、スタートアップには一番重要なのだと実証できました。今回で言えば、京セラとライオン、ソニーが協業することで、スピード感を持って世の中に商品を出すことができています。タイムリーにリソースを配分するには、やはりオープンイノベーションが重要で、外部の人材とのつながりがなければ、いまここに商品は存在しないわけです。今後、稲垣さんがこの先の大きな社会課題を解決するためには、さらに大きなリソース、あるいはテクノロジーと掛け合わせPossiを事業ドメインとして大きく育てることが目標になってきますが、それが次のオープンイノベーションになっていくのではないかと思います。
1人ひとりが課題を見つけて
解決することが、当たり前の社会へ
──今後、京セラの稲垣さんはじめ、SSAPとしても、どのような未来を見据えて活動しようと考えているのか、その展望を教えてください。
稲垣:まずはPossiを全世界の人たちに届けたいですね。子育てにおいて仕上げ磨きはとても大変で、私自身が嫌がる子どもをしかったり、子どもに泣かれたりすると気持ちが挫けるのですが、もしこの30分が笑顔に変われば、心に少しの余裕が生まれて、人に優しくなれると思います。それが1人2人ではなく、世界中に行き渡れば、1日30分世界に平和を届けることができると信じています。それを親子の歯ミガキだけでなく、高齢の方などの介護の領域にも展開できれば、新しい社会課題の解決につながるのではないかと思います。
立花:昨今、オープンイノベーションの流れの中で、企業がノウハウを抱え込むことは多くの場合いいことではありません。新しい商品やサービスで社会の問題を解決できる人を増やすために我々はノウハウを出し惜しみせずに広く提供していきたいと考えています。そうすることでアイデアと情熱を持って挑戦する稲垣さんのようなイノベーターも増えるのではないかと期待しています。今の100倍挑戦する人がでてくれば、100倍の商品が生まれ、それによって世の中は良くなるはずです。そのためにもStartDashをさらに改善し、まさにSSAPのスローガンのように「あらゆる人に起業の機会を」提供できればと思っています。
小田島:まずはSSAPの取り組みとして、スタートアップにおける5つの課題をしっかり解決し、この仕組みを後進に残せるようにしたいですね。今の時代、1個人や1つの組織だけでやれることは少ないので、オープンイノベーションによって、いろいろな人を巻き込むことが大切です。自分が思いついたアイデアを実現し、そこに人を引き寄せて事業にできれば、ひとつの社会課題が解決できる。そういうことがあらゆる所で起きれば、世の中の課題が徐々に解決され、持続可能な社会になっていくと思います。いまSSAPでは大学などにもプログラムを提供していますが、子どもたちの世代が自分で課題を見つけて解決し、事業にしていくことが当たり前だと思える社会をつくることが理想ではないかと思います。それがSSAPにおける社会貢献のあり方ではないかと考えています。