Cutting Edge

「地球の水と空気を浄化する」。
小さな籾殻から、惑星スケールのビジョンが飛び出した

2020年2月21日

世界中で毎年1億トン以上廃棄されている「米の籾殻」。この膨大な副産物(バイプロダクト)を原料に用い、地球規模の課題といえる「水と空気の浄化」に挑まんとする「Triporous™プロジェクト」が進行中だ。いったい、どのようなプロジェクトなのか。Triporousの発明者である田畑 誠一郎、その量産化に成功し、ヘルスケア分野とアパレル分野での商品化を実現させた山ノ井 俊、そしてプロジェクトが所属する知的財産インキュベーション部ストラテジーGpの統括職を務める小池 允に話を訊いた。

プロフィール

  • 小池 允

    ソニー株式会社
    知的財産センター
    知的財産インキュベーション部

  • 田畑 誠一郎

    ソニー株式会社
    知的財産センター
    知的財産インキュベーション部

  • 山ノ井 俊

    ソニー株式会社
    知的財産センター
    知的財産インキュベーション部

マイクロ孔、メソ孔、マクロ孔

──まず、Triporous(トリポーラス)とはどのような素材で、どのような特性を持っているのか教えてください。

田畑:Triporousは「米の籾殻」を原料とする多孔質の素材で、水中や空気中において、従来の(活性炭のような)多孔質材料では吸着できない「大きな分子量の有機物」を吸着することができます。特に水の中では、有機分子だけではなくウイルスやバクテリアも吸着することが確認されています。また、メソ孔やマクロ孔といった大きい細孔を有するため、吸着速度が速いという特徴を持っています。

──メソ孔やマクロ孔というのは……?

田畑:ソニーが発明した独自の製造方法によって、Triporousは、従来の活性炭が持つマイクロ孔(直径2ナノメートル未満の細孔)に加え、メソ孔(直径2~50ナノメートルの細孔)とマクロ孔(直径50ナノメートルより大きな細孔)という3つの異なるサイズの細孔を有しています。製造方法を簡単に申し上げると、まず、籾殻の細胞間に蓄積しているシリカを取り除くため、籾殻を炭化し、その後、エッチングという手法でシリカを除去することでマクロ孔を形成。さらに水蒸気による高温処理(賦活処理)によって、メソ孔とマイクロ孔を発達させています。ちなみにTriporousという名称は、「3」を意味する「Tri-」と、「多孔性」を意味する「porous」の組み合わせになっています。

──「ソニー」と「米の籾殻」というと、一見まったく関連性がないように感じますが、いつごろ、どのような経緯で籾殻に着目され、Triporousの製品化にまでこぎつけたのでしょうか?

田畑:私がソニーに入社したのは2006年で、当時の開発テーマは、リチウムイオン電池や電気二重層キャパシタを志向した、余剰バイオマス(天然の余剰資源)を原料とした蓄電デバイス用の新しい電極材料の開発でした。実は大学の研究室時代に、シリカの微粒子を鋳型に、人工樹脂を原料とした多孔質カーボンの電極応用を研究したことがあり、天然物でもシリカが含まれる原料があれば、同じような材料ができるのではないかと探索を開始したのです。調査を重ねた結果、米の籾殻がシリカ微粒子と炭素源であるリグノセルロースの複合体であることを発見し、実験室で作ってみたところ、ユニークな構造の多孔質炭素材料ができることがわかりました。

当時はバッテリー電極への応用を中心に考えていましたが、その後、この材料の独特な細孔構造に由来する特異な吸着特性を見出し、基本特許にまとめました。その後はメンバーとさまざまなラボ実験を行い、Triporous技術に関する多くの特許やノウハウを得ることができました。

──どういう経緯でバッテリー電極以外への応用という視点が出てきたのでしょうか?

田畑:2007年の後半、研究所内で「環境分野と医療分野の研究を強化していこう」という気運が高まりました。Triporousも「なにか環境や医療に貢献できないか……」と期待され、思案の結果、医療や環境分野での吸着応用の着想を得ました。ラボ実験を行いTriporousでしか吸着できない色素分子を見つけた時はうれしかったです。その後、学会や論文発表を通じて、多くの専門家からもその特異性を認めていただけたことで、自信をもって検討を進めることができました。

必要だったのは「呼び込み型」のイノベーション

──Triporousのプロジェクトを推進しているのは「知的財産センター」だそうですが、知的財産センターとは本来、どのような活動を行っている部署なのでしょうか?

小池:特許・意匠・商標といった知的財産権を扱い、ソニーの事業活動を支えている部署です。具体的には、ソニーの事業競争力を確保するために自社で生み出された知的財産を権利化、つまりは法律で保護される状態にして活用したり、他者の知的財産権に基づく係争からソニーの事業を保護し、事業リスクの低減を図ることが主な業務となります。

──その中でも、今回のTriporousプロジェクトにおいて、小池さんは具体的にどのような役割を担っていらっしゃるのでしょうか?

小池:私が所属している「知的財産インキュベーション部」は、いまお話しした業務をさらに発展させ、企業内にある知的財産業務の担当組織(企業内知財部門)として新たな機能価値の提供を目指しています。Triporousの事例では、知的財産権を活用したライセンス事業の創出を志向しています。R&D投資の開発成果がソニーの既存事業に活かせなかった場合にも、知的財産を利用してそれを別の形で活かす機会を創出するという新たな機能価値の提供が、知財部門としてできるのではないかと考えています。

私自身は、2018年1月からTriporousプロジェクトに関わっています。マネジメントとして、プロジェクトリーダーの山ノ井さんや技術リーダーの田畑さんたちTriporousプロジェクトのチームを支援しています。先ほども述べたように、Triporousは知的財産権を活用したライセンス事業の創出を志向しています。一見、従来のソニーのビジネスモデルとは違うように思われるかもしれませんが、実はこれまでにもCDやDVD、メモリースティックといった記録メディアの事業のように自社で製造販売する商品のマーケットを創出するためにライセンス事業を行うケースや、MPEG-2 Videoのように自社で採用する技術の普及を企図してライセンス事業を行い大きく成功したケースは存在します。

Triporousプロジェクトに特殊な点があるとすれば、IT産業のプラットフォーマーのように、自ら発信して求心力を高め、関心を持ってくれる外部の企業や組織と一緒にオープンイノベーションを推進することで知識創造を進める「呼び込み型のイノベーション」を行いながらライセンス事業を作り出そうとしていることではないかと思います。つまり、社外の方々と共創していくことで事業としてのエコシステムを形成し、そこからライセンス料をいただくかたちを探索しています。こうしたスキームも、企業内知財部門としての新たな機能価値につながると期待しています。

──Triporousの量産にあたってはどのような課題があり、それをどのように解決したのでしょうか?

山ノ井:ラボ実験と同様の手法をミニプラントで試したところ、エッチングでシリカを抜く工程、具体的には「炭にした籾殻を反応液中で攪拌する工程」でつまずきました。反応終了後に水と籾殻を分けようとしたところ、籾殻の抵抗が思いのほか大きく、濾過器が詰まってしまったんです。さらに、最終工程にあたる賦活処理では約1000℃の環境で水蒸気を当てて反応させるのですが、風を当てた時に軽い籾殻は飛んでいってしまい、収率が非常に悪かったのです。試行錯誤の結果、籾殻をペレット状に加工してから量産していく手法を開発し、それによって数トン単位で製造することに成功しました。厚木の実験室でグラム単位で作っていたものを、トン単位で製造することは、予想しない出来事だらけでハラハラしましたが、できた時はすごくうれしかったです。

ソニー社内に材料分野の量産ノウハウは、それほどありませんでした。今回Triporousを量産するにあたっては、化学メーカー、活性炭メーカーの方々にご協力いただき、ソニーのTriporousの技術と彼らの知見とを組み合わせることで実現しました。現在も彼らの知見を得ながら技術は日々進歩しています。

Triporousは、いかなるかたちで社会実装されるのか?

──現在Triporousは、どのような用途に使われているのでしょうか?

山ノ井:Triporousは、2019年にロート製薬のボディーソープや、エディフィスのアパレル商品に採用いただき、Triporousが配合された商品の販売が開始されました。Triporousは用途に合わせて形状や粒度、品質を調整することができます。分野としてはすでに販売されている、洗浄剤などのヘルスケア分野、消臭繊維などのアパレル分野に加えて、浄水フィルターのような水浄化分野や、エアフィルターなどの空気浄化分野への展開を考えています。また、食品添加物や薬用炭規格に適合させることにも成功しているため、食品や医薬品への展開も期待しています。

小池:B to C向けに先行して商品化が進んでいますが、Triporousの粉末の消費量が多いB to B向けにも展開が進み、製造コストを下げられるようになることも期待しています。我々はブランドライセンスのビジネスを広げていきたいと思っていますので、B to C向けにTriporousを採用していただいた企業に対して余剰バイオマスを活用したサステイナブル素材としての環境価値を訴求していただきやすくなるよう情報発信を行ったり、業界を超えたマーケティングをやりやすくなるようさまざまな分野での商品化を推進していくことで、Triporousというブランドとしてお役に立ちたいと思っています。

田畑:変わったところだと、美術品や工芸品の保護にも使われています。文化財の長期保管には、空気質の管理が通常の室内環境よりも高いレベルで求められています。加工したTriporousを使った空気清浄機やシートは、ガス状汚染物を効率よく除去できるので、世界遺産である平等院をはじめ、重要文化財を扱うさまざまな場所で、Triporousが使われはじめています。

ソニー本社1階ロビーに展示されたソニーの設立趣意書を保護しているTriporous

──加工の仕方を研究開発すると同時に、使い先も開拓しているといったところでしょうか?

田畑:そうですね。ラボレベルでの開発はひととおり終わったので、それを世の中に実装していく準備をいろいろと進めています。

小池:お客さま個々のターゲットやニーズに応じて加工していかなければならないのが、難しさでもありおもしろさでもあります。パートナー企業と協力しながら、加工品の開発を進めているところです。

山ノ井:例えば繊維の場合だと、練り込むことで消臭力が高まることがわかりましたが、ではどうやってTriporousを繊維に練り込むのかといった知見は、ソニー社内にはほとんどありません。従って、そこは繊維の専門業者の方々の力が必要になってきます。ちなみに、服の重さに対して数%Triporousが含まれていると、消臭効果が発現します。体感できる消臭効果が発揮される条件を我々も確認しており、それを満たした繊維にのみTriporous FIBERのタグをつけています。

田畑:ビジネスモデルをいろいろ検討していくなかで、自社ですべてをまかなえないことがわかった時は苦々しかったです。でも、そこで諦めなかったことと皆さまのサポートのおかげでここまでくることができました。

サステイナブルグロース、オープンイノベーション

──時代の流れとして、サステイナブルグロースは必須の観点ですし、大企業が生き残っていくためにはオープンイノベーションも不可欠になっていますよね。

小池:そうですね。もともと自社で製品を作ろうとすると、クローズドに開発を進めたりすることが多かったのですが、いまは、もっとオープンな知識創造のプラットフォームにしていきたいということで、オープンイノベーションに移行している気がします。従来の製造業でやるような「囲い込み型」ではなく、IT企業がよくやっているような「呼び込み型」に変わってきていると思います。

私から見ると、Triporousはいろいろなことに使えるので(クローズドでは)もったいない。何かに絞ってやらなきゃいけないといっても、どれも当たるかもしれないし、どれも当たらないかもしれない。もっといろいろな人たちに協力してもらって、選ばずに開発を進めたい。それによって、「どこでビジネスが成立しますか?」「持続的に成長できますか?」といった問題の解決につなげていきたいと考えています。

現状、普通の活性炭に比べたら大した量を作っていませんが、世の中にもっと広がっていき、従来の活性炭と比べて大差ないレベルで製造できるようになれば、コストも劇的に下がってくると思います。そうすると、ユーザーから見たら機能としては価値が出せているけれど、コストが問題になっていたようなアプリケーションにも入っていけるようになり、さらに成長していけるのではないかと期待しています。

田畑:社外の方々からよく「ソニーがなぜ籾殻でカーボンを?」という質問をいただきます。最先端の製品を売っているソニーが、ローテクな籾殻で環境浄化……というギャップが社外の方々に評判なようです。TriporousはSDGsに対してもソニーらしい切り口で貢献できると考えています。

水と空気の浄化を目指して

──製造コストがさらに下がり、Triporousが広く使われるようになっていくと、既存の何と置き換わることになるとイメージされていますか?

小池:当初は、椰子殻や木質の活性炭が何百万トンと使用されているので、その代替に……という考え方もあったと思いますが、いまは新しい素材なので、新しいアプリケーションになっていくという気がしています。単純に「何かと置き換える」という発想とは違う発展の仕方をするのではないでしょうか。

例えば水浄化だと、水質をきれいにするために活性炭を活用している現状に対し、Triporousは孔が大中小とあるぶん速く吸着できるので、短い接触時間しかない状況で浄水をしなければいけない「特殊な用途」に際しては置き換えがあるかもしれませんが、単純に、いま一般的に使われているものと置き換えることは少ないと思います。

山ノ井:「水を飲む時はTriporousを使って……」「部屋はTriporousで空気をきれいにして……」「Triporousで体を洗って、Triporousの入った洋服でお出かけ」といったように、Triporousという言葉が、生活の中に当たり前の存在になることができれば大成功だと思っています。既存の何かの置き換えを目指すというよりもそういう新しい世界を作りたいです。

小池:水や空気の浄化という意味だと新興国ですよね。開発が進んでいき、今はまだそれほど水や空気の浄化に対してソリューションが提供できていないところに「Triporousのおかげで水や空気の浄化が行き届きました」ということができたらうれしいですね。

田畑:籾殻の量を計算すると、世界で年1億トン以上廃棄されているわけです。いくらかは発電に用いられていますが、多くは廃棄されています。そのかなりの量をTriporousにすることができれば、世界で困っている方々にいろいろな価値を届けることができると思っています。使い方は本当に多様で、それをみんなで考えているところです。インフラが整っていない地域の水と空気を浄化することは、まさに目指していきたい分野ですし、サーキュラーエコノミーの実現にも貢献したいです。

山ノ井:Triporous単体では海水を濾過することはできませんが、例えばRO膜(逆浸透膜)の前段階にTriporousのフィルターをつけることによりRO膜の負担を減らし、RO膜の寿命を延ばすといったことはできるかもしれません。そうした、「ほかの部材との組み合わせで最高性能を出す」というパターンもあると思います。

小池:やはり、水や空気の浄化という部分を事業として成立するところまでいってほしいし、させたいと思っています。ただ、それにはまだ時間がかかると思っています。従って、水や空気の世界にたどり着くまで、FIBERやWASHといった別の分野でビジネスをしっかり成立させ、Triporousのユニークな構造が活きる分野をひとつひとつ押さえていきながら、ほかのパートナーと進めている水や空気の浄化のところで花開いていくのが理想的ですね。

Triporousのように、ソニーの研究開発部門の方々が開発した技術の価値をいかに守り、さらにその価値を高めることができるのか、新しいやり方を模索しながら引き続き努力していきたいと思います。

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