SONY

2006年5月7日、ソニー創立60周年

「東京通信工業株式会社」の看板

 2006年5月7日、ソニーは創立60周年を迎えた。1946年のこの日、終戦後の荒廃の中、資本金19万円をもって、創業者 井深 大、盛田 昭夫らはソニーの前身である「東京通信工業株式会社」を設立した。創業当時、工場兼事務所は日本橋白木屋(現在「セレンディピティ」がある「COREDO日本橋」の場所に建っていたデパート)の一角を借りていた。しかし、売り場の拡張などで次第に手狭になり立ち退きを迫られる。しかたなく仕事の場を各地に移さざるをえなかった。だが、工場などがあちこちに散らばっていてはどうも具合が悪い。翌年、ようやく手に入れたのが現在本社のある東京・品川区北品川、通称御殿山の70坪の倉庫だった。点在していた工場、倉庫、事務所がここに移った。雨が降ればひどい雨漏りがして、中にいても傘をささなければならないほどのバラックであったが、ひとつ場所で一緒に働けるという喜びからすればそんなことは問題ではなかった。そしてそう時を待たず、この地からテープレコーダーが、トランジスタラジオなどが次々と誕生するのである。

1950年代前半の本社。左の建物が都商事から買い取った社屋。

 ところで、会社を興すことを「看板を掲げる」と言う。東京通信工業もここ御殿山で実際に看板を掲げたが、それは手書きのお世辞にも立派と呼べるようなシロモノではなかった。やがて、会社の仕事も軌道に乗り、1949年には新しい木造の工場が完成、さらに51年には、隣接していた都商事という会社の土地・建物(木造3階)を買い取り、事務所兼一部を工場とした。写真はその建物の玄関横に掲げられたもので、「東京通信工業株式会社」の文字を刻んだ立派な“看板”(社名プレート=会社の表札)である。

 60年代に入り、この建物は取り壊され、そこに白亜の本社ビルが建つ。それはソニーの急成長を象徴するものであった。白木屋を立ち退いてしばらく、井深と盛田は、皆が一緒に働ける工場を探して都内をあてどもなく歩き回ったという。そのとき二人が語り合った小さな夢は、エレベーターと水洗トイレのある自前の工場を持ちたいというものだった。その夢は10数年で現実のものとなった。