インタビュー
矢野 直子氏
「life knit designの、
はじまりのはじまり」
クリエイティブセンターでは、多様な業界の第一線で活躍されている方をお招きしてお話を伺い、
学びを得る活動を行っています。今回は暮らしのデザインに一貫して取り組み続けてきた、
矢野 直子さんにお話しを伺いました。
「選ぶ力をやしなう」「プロダクトの周りの空気感こそ大切」など、
矢野さんが語る言葉は、クリエイションの示唆に富み、
ソニーのデザイナーの琴線に触れるものでした。講演会の内容をダイジェストで紹介します。
はじめに:
「life knit design」とは
life knit design(ライフニットデザイン)とは、「お客様の感性を住まいに編み込み、暮らすほどに愛着が増していく」という意味を込め、2023年に策定した積水ハウスのデザイン思想です。私はこのデザイン思想の策定をリードし、現在、それを具現化する新しい家づくりを進めています。
大学卒業後、無印良品での商品企画を皮切りに、スウェーデンへの移住生活を経て、伊勢丹百貨店のリビングフロアのディレクション、再び無印良品で公共機関のデザインなどに関わってきましたが、これまでのすべての経験が今の仕事につながっていると感じています。今回の講演では「life knit designの、はじまりのはじまり」として、私の仕事や生活の軌跡を辿りながら、その時々で何を学んできたのかをお話したいと思います。
これがいい と これでいい
大学卒業後に入社したのが、無印良品を手がける株式会社 良品計画です。私は販売員を経て、生活雑貨の商品企画の担当になったのですが、そのとき先輩から教わったのが「これがいい と これでいい」という言葉でした。例えば、お客様がとても上質で高価な椅子に魅せられ、貯金を使って購入したとき、"それ以外の家具は無印でいい"と言ってもらえるような、自信を持って選べる「これでいい」を目指す姿勢を意味しています。これは「図と地の関係」とも言い換えられます。無印良品は決してシンプルであることを念頭に置いているのではなく、美しい椅子(図)の背景(地)になることを目指し、結果的にシンプルになっていったブランドだと私は思っています。
そんな無印良品で、当時の私は"シンプルにするとはどういうことなのか"をひたすら考えていました。先輩から"良いものを知らなければ、削ぎ落とすことはできない"と言われ、上質なインテリアショップに通い、様々な伝統工芸品を見ては"どこを削ぎ落とせば、日常で使えるものになるのか"と自問していましたね。例えば、有田焼を調べているうちに、蒔絵を描く前の素地の上等さに気づき、その素材で無印良品の雑器をつくるなど、自分なりに「これでいい」ものを追求していました。
また、無印良品のスタッフが世界各地を旅して、暮らしの良品を見つけ出すプロジェクト「Found MUJI」への参加も大きな経験になりました。ウール二重織の生産地であるウェールズや、多様なラグマットがあるイスラム諸国などを巡り、それぞれの地域に根付くものを自分たちの生活に取り入れられないか、思いを巡らせていました。そのような「素材を探す、見つけだす日々」は私の土台の一つになっています。
無印良品時代に自身が企画したラグマットが敷かれた矢野さんの自宅
部屋作りは自己表現
夫の海外赴任で良品計画を退職し、スウェーデンで3年間暮らしたのですが、その日々は私にとって次のステップにつながる経験になりました。衝撃を受けたのが、家具メーカーのIKEAの駐車場。そこには、庶民的な車も高級車も停まっていました。IKEAはお金の有り無しに関わらず、スウェーデンの人々にいろいろな楽しみ方を提供してくれるブランドだったのです。日本にいるときはブランドやマーケットをヒエラルキーで考えてしまっていたのですが、そういった自分の固定観念を壊してくれる貴重な体験になりました。
また、スウェーデンの人々は、長い冬を越すため、部屋作りが好きと聞いていたのですが、本当にその通りでしたね。季節ごとに部屋のしつらえを変えたり、花を飾ったりすることを楽しんでいて、「部屋作りは自己表現」ということを学びました。
矢野さんがスウェーデンで暮らした住宅の様子。矢野さんも季節ごとに模様替えをするなど、部屋作りを楽しんでいた
選ぶ力をやしなう /
素敵でしょ、と言い切る力
日本に帰国後、ご縁があって伊勢丹新宿店のリビングフロアのディレクションを担当することになりました。無印良品の考え方は「削ぎ落とすこと」でしたが、伊勢丹は「価値を掛け合わせること」にあり、私自身、新しいクリエイションに取り組むことになりました。
2008年に手がけたのが、故・坂本龍一さんが創立した一般社団法人more treesから「日本の間伐材を使ったプロダクトを制作・販売してほしい」という依頼を受けてつくった鳩時計です。オリジナルデザインをプロダクトデザイナーの深澤直人さんに、さらにカスタマイズを彫刻家の名和晃平さんをはじめとする複数のアーティストに依頼し、アートを「掛け合わせる」鳩時計を制作しました。
矢野さんがプロデュースした、間伐材を使った鳩時計。現在も販売され続けている
さらに、伊勢丹時代の代表的な仕事が、家具メーカーのマルニ木工とのプロジェクトです。前述の深澤直人さんがデザインしたHIROSHIMAという美しいチェアがあるのですが、工場見学に伺った際、きれいに仕上げられたHIROSHIMAのチェアが最終の検査で木の節があるという理由で捨てられていたんです。私は“もったいない、節は個性になる”と訴え、節ありの椅子の販売イベントを企画・実施しました。
さらに、このイベントを発展させた「ふしとかけら」という企画も立案。ミナ ペルホネンのデザイナー 皆川明さんのオリジナル生地のはぎれ(かけら)でパッチワークを施した、節ありの椅子を発売しました。この「ふしとかけら」の企画は、節ありの椅子や生地のかけらが貯まったら実施する継続的なイベントになっています。
「ふしとかけら」のイベントで販売された節ありの椅子
また、フランス・パリのセレクトショップMERCIのポップアップショップを伊勢丹で行ったことも自分にとって大きな出来事でした。実は、私はMERCIのオーナーの考え方に大きな影響を受けています。パリのMERCIを訪れたとき、食器売り場で数百円のDURALEXのグラスと、数万円のバカラのクリスタルグラスが同じように陳列されているのを見て深い感銘を受けました。一般的に、百貨店では日用品と高級品を分けますが、MERCIのオーナーは“自分の感性ではどちらも素敵なもの”と同じ空間にレイアウトしていたのです。そのようなMERCIの独創的な店づくりから、私は「選ぶ力をやしなうこと」「自分で選んだものを素敵でしょ、と言い切る強さ」を学びました。
MERCIの店内の様子。左の写真は、アウトドア用の椅子にアンティークのシャンデリアをスタイリングしている様子。右の写真は、DURALEXのグラスとバカラのクリスタルグラスを同列に陳列している様子
プロダクトの周りの
空気感こそ大切
伊勢丹での仕事が一区切りついたころ、古巣の良品計画から、生活雑貨全般のデザイン監修を頼まれました。そうして無印良品の家電シリーズなどを手がけながら、次第に、暮らし方の提案や公共機関のプロジェクトにも携わるようになりました。例えば、週末を郊外で過ごす生活スタイルを提案すべく、国内外のデザイナーによる「現代の小屋」を企画。一方で、成田国際空港第3ターミナルのソファーをデザインしたり、フィンランドのベンチャー企業から依頼されて自動運転バスGACHAの車体デザインを担当したりしました。このような仕事に取り組むなかで、プロダクトの周りの空気感まで広く考えるようになり、まちづくりという大きな視点も身についたと思います。
左の写真は矢野さんが企画制作した「無印良品の小屋」。右の写真は車体デザインを監修したフィンランドの自動運転バスGACHA
お客様の感性に寄り添う
住まいを
そして4年前、積水ハウスに入社しました。入社時、社長から「積水ハウスのデザイン思想をつくってください」というオファーをもらいました。さらなる成長のために、設計者や営業担当、インテリアコーディネーターなど多様な社員をまとめるためのデザインコードが必要になったのだと思われます。まず私は時間をかけて、各メーカーの住宅展示場を巡りました。多くのメーカーの方が長寿命、高耐久といったストック価値を話されるなか、ある営業の方がふと「お持ちの家具とアートを伺って設計できます」と言ったことが心に残りました。お客様の感性に寄り添うことにチャンスがあると思ったのです。
その体験を起点にし、社内の各部門と議論を重ねて生み出したのが、「時間とともに愛着を編み込む住まいを提供する」という思いを込めた「life knit design」というデザイン思想です。この講演会の冒頭で「図と地の関係」といいましたが、高い技術を持つ積水ハウスだからこそ、お客様の感性(図)を映し出せるきれいな箱(地)をつくることができる。これまで培ってきたストック価値に、お客様一人ひとりに寄り添う感性価値を掛け合わせていくことで、積水ハウスの強みをさらに押し出せるのではないかと考えたのです。
矢野さんが策定をリードした積水ハウスのデザイン思想
新しいデザイン思想を具現化するためには、お客様一人ひとりの感性をキャッチし、それを住まいの内外に反映していかなければなりません。しかし、従来の住宅メーカーのインテリア提案は「ジャパニーズモダン」「ブリティッシュカントリー」などスタイルに当てはめる手法が大半でした。そこで私は、お客様の感性を把握するため、空間の色、素材、形などから受ける印象を言語化し、「静」「優」「凛」「暖」「艶」「奏」という6つの感性フィールドを開発。これをもとに、お客様にヒアリングしながら「お客様は静と優の感性がお好きなようですね」と感性を把握し、設計者やインテリアコーディネーター間で共有できるシステムをつくりあげました。このようにデザイン思想とともに、それを具現化する仕組みまでをトータルに企画し、現在はそれをもとに新しい家づくりを進めています。
矢野さんが開発を主導した6つの感性フィールド。大らかにまとめたこともポイントという
近年life knit designを体験できるモデルハウスを建築
最後に、私はずっと暮らしのことを考えてきて、いま家づくりをしているのですが、このさきも安心、安全、快適の、その先の幸せをデザインで提供して、美しい暮らしを創造していきたいと思っています。
ソニーグループ クリエイティブセンター長 石井大輔との写真。ちなみに二人は大学の先輩後輩の関係