ゆる楽器「ハグドラム」誰もが一緒に演奏できる
インクルーシブな打楽器
もしも楽器が弾けたなら……そう思う理由は人それぞれ。子どもに初心者、障がいのある方まで、
楽器演奏のハードルを、どうすれば解決できるだろう? ソニー クリエイティブセンターでは、
ソニー・ミュージックエンタテインメントとの協業のもと、誰もが楽しめる「ゆる楽器」の開発を進めています。
その一つが、初めての方や小さな子ども、音が聞こえない方も一緒に演奏が可能な打楽器「ハグドラム」。
聴覚に障がいのある「リードユーザー」や、シシド・カフカ氏らミュージシャンの協力を得て、ステージでの発表に挑みます。
演奏する人も聴く人も、みんなを笑顔にする魔法のような楽器を、どうデザインしていくか。
「インクルーシブデザイン」のアプローチ、プロトタイピングの道のりを、デザイナー2名がたどります。
(左から)ソニーグループ クリエイティブセンター:森澤 類、秋田 実穂
インクルーシブデザインによる
「ゆる楽器」の取り組み
人の心を震わせる音楽の力。その体験は多くの人に、大きな憧れを抱かせます。「自由に音を奏でられたなら、どんなに楽しいだろう」。しかし、楽器の演奏はそう簡単に身に付くものではありません。楽譜が読めない。リズム感に自信がない。練習が厳しくて挫折した。間違った音を出すのが怖い……などなど、さまざまなハードルが立ちはだかっています。
この問題を解決するべく立ち上がったのが、「世界ゆるミュージック協会」。誰もが気兼ねなく楽しめる「ゆる楽器」の開発・普及を通して、音を奏でる楽しみをより多くの人へ届ける活動を展開しています。
ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)とソニー クリエイティブセンターも、この「ゆる楽器」のプロジェクトに参加。鼻歌を歌うだけで演奏できる「ウルトラライトサックス」に続いて、誰でも一緒に演奏できる打楽器「ハグドラム」の開発を進めてきました。
小さな子ども、楽器初心者はもちろん、音が聞こえない方もプロのミュージシャンと一緒に演奏を楽しめる打楽器を、どう実現するかーー。そこで活用されているのが、障がいのある方や高齢の方など、さまざまな「リードユーザー」との協働によってデザインの発想を広げる「インクルーシブデザイン」の手法です。今回はリードユーザーとして、聴覚障がいのある手話パフォーマーの岡﨑伸彦氏と中川綾二氏、ソニー社員の大石邦世らが参加。そこに、シシド・カフカ氏をはじめとするプロのミュージシャンたちもメンターとして加わりました。
多様な人々とともに、新たなデザインのヒントを探る試み。その軌跡とこれからの展望を、デザイナー2名が語ります。
「ゆる楽器」のプロジェクトに参加した経緯について、教えてください。
秋田SMEが「ゆる楽器」の開発に参加していることを知り、クリエイティブセンターのインクルーシブデザインの取り組みと通じ合う部分があると感じたことがきっかけです。実は私自身、楽器は弾けないけれど演奏にはずっと憧れがあり、ぜひやりたいと思いました。そこで、SMEが試作を進めていた「ウルトラライトサックス」のデザインを担当し、続く「ハグドラム」には最初のリサーチ段階から携わっています。
森澤私は学生時代にDJをやったり、友人と曲作りをしたりした後、音楽の演奏からはしばらく遠ざかっていました。今回「ハグドラム」のスタート地点から参加することになり、あらためてサンプラーやシーケンサーなどの機材を引っ張り出したり、ハンダ付けなど工作をしたり……過去の経験が思わぬところで役立つことになりました。
秋田先行事例にあたる「ウルトラライトサックス」は、一言でいえば複雑な操作が必要なく、誰でも鼻歌を歌うだけで演奏できるサックスです。透明なケースの内部に、人の声のトーンを解析してさまざまな楽器の音に変換できるコアユニット「ゆるコア」を搭載し、鼻歌を音色に変換します。これ一つあれば形状にとらわれる必要がなく、音源にあわせていろいろな楽器に展開が可能です。そのため、開発初期の設計試作では紙コップのような形だったのですが、サックスを演奏するという"佇まい"が想像できて、持ちやすさ、使い方についてより配慮された形状を検討し、あえて楽器らしくデザインする方向へ着地しました。
「ウルトラライトサックス」誰もが吹けるゆる楽器
サックスに続く「ゆる楽器」のデザイン対象として、なぜ打楽器を選んだのでしょう?
森澤前提として、楽器を演奏することにハードルを感じている方、聴覚障がいのある方も一緒に楽しく演奏できるものにしたいというゴール設定がありました。そこで、四肢を動かしづらい方や耳の聞こえづらい方など、ソニー・太陽の社員をはじめとするリードユーザーの方々とワークショップやリサーチを行い、多種多様な楽器について意見を集めていきました。その中でより多くの人が楽しめるものとして、シンプルかつプリミティブな楽器である太鼓が浮かび上がってきたというわけです。
秋田ワークショップでは実際の楽器だけでなく、大きさや形を紙で再現したモックアップなどを実際に触っていただきました。過去に発表された「ゆる楽器」には、ベストのように装着して音を出すタイプの打楽器もあったのですが、体の大きさや特徴にとらわれずに使用でき、合奏する楽しさを探究する上で、あえてゼロから可能性を探っていきました。その結果、誰が見ても太鼓らしく、肩から掛けて抱えたり、子どもや車椅子の方なら膝に乗せたり床に立てて叩くことができるよう、汎用性の高い筒型のデザインを採用することになったのです。
リードユーザー、ミュージシャン……
多様な人々との共創過程
開発にはリードユーザーだけでなく、プロのミュージシャンの方々も参加していますね。
森澤はい。リサーチを始めたのが2023年の春で、ハンドサインによるリズム・イベントを主催するシシド・カフカさんをはじめ、ミュージシャンの方々にメンターとして参加いただくことになったのが夏頃のこと。といってもまだ、段ボール製だったり、部品が剥き出しだったりする状態です。何しろ、今までにないものを作ろうとしているわけですから、何が正解かわからない。段ボールの筒にスピーカーを仕込んだり、既製品の収納ボックスにサブウーファーを入れて触感を検証してみたり……私自身、耳栓をして振動デバイスを装着したまま1日中、音の感触を試し続けたりもしましたね。ゼロからのスクラップ・アンド・ビルドで、四苦八苦しながらの作業でした。
「ハグドラム」の開発プロセスを物語る過去の試作品より。(右から)収納ボックスとサブウーファーで作られたモックアップ、
塩化ビニル管やLEDが剥き出しの1stプロトタイプ、社内で体験展示が行われた2ndプロトタイプ。
秋田プロのミュージシャンに参加いただいた理由の一つが、楽器として“やり込み要素”をどう高めていくかです。リードユーザーの方々や世界ゆるミュージック協会 代表理事の澤田智洋さんと話し合うなかで、簡単すぎるものはすぐ飽きられてしまうため、"習熟していく楽しさ"をどうデザインするかが大切だと考えました。さらにシシドさんは、100種類以上のハンドサインを駆使して即興演奏を行うパーカッションバンドel tempo(エル・テンポ)を主宰しており、プレイヤー同士のコミュニケーションをどう取るかという面でも、メンバーの方々から数多くのアドバイスをいただいています。
森澤一般的なプロダクトはあらかじめ明確な機能や方向性が決まっており、それに沿ってデザインを突き詰めていく流れですが、今回はデザインとともに設計や機能の開発を社内外のメンバーが一丸となって進めていきました。リードユーザーやメンターの方々にも形や大きさ、機能面などの意見をいただきながら、反映してアップデートさせていく。まさにラピッド・プロトタイピングと呼ぶにふさわしいスピード感でしたね。
「ハグドラム」の3rdプロトタイプ。
現在は3rdプロトタイプということですが、どんな楽器に仕上がりましたか?
秋田一言で表現するなら、叩いた音を光と振動で感じられるドラムです。使い方は手のひらで打面を叩くだけ。打面の中心は低音、縁を叩くと高い音が出て、光を放ちます。また、胴体の2カ所に振動スピーカーが取り付けられていて、抱えると脇腹に触れる内側からは自分の叩いた音が、腕に触れる外側からは合奏者の音が振動として再現されます。叩いた音を光と振動で表現することで、聴覚に障がいのある方も一緒に演奏を楽しめる仕組みです。
森澤2ndプロトタイプからも、多くの点がアップデートされています。2人1組で演奏する上で、2ndプロトタイプでは胴体側面にライン状のLEDを取り付け、相手の音を表示していましたが、これだと手元ばかりに目が行ってしまう。でも、実際の演奏時には身振りや表情による合奏者同士のコンタクトが欠かせません。そうアドバイスをいただき、3rdプロトタイプでは相手を見ながら演奏できるよう、自分の光を相手に見えやすくしています。ストラップや振動デバイスの位置、各部形状などについても、大人や子ども、車椅子の方など、さまざまな体格の方に合うように調整しました。
違いやハードルを超えて
共有できる、
体験デザインの目指す先
現在進行中のプロジェクトですが、現時点の手応えはいかがでしょう。
秋田聴覚障がいのあるリードユーザーの方に「振動が音楽に感じられる!」という言葉をいただいた時は、うれしかったですね。振動は1音だけだと単なるリズムになってしまいますが、感じ分けやすい高低の2音を採用したことで、音楽の感覚を表現できたと思います。
森澤リードユーザーの方からは「楽しい!」、シシドさんにも「これぞ楽器ですね!」と言っていただいて、やっと手応えを感じているところです。体験デザインという大きな命題との試行錯誤を経て、細かいフォルムやユーザビリティといったプロダクト領域へと、デザインの焦点が移ってきたと感じています。
開発に参加いただいた楽器開発メンターの方々。
即興パフォーマンスグループel tempo(エル・テンポ)のシシド・カフカ氏(左から2番目)、Show氏(1番左)、岩原大輔氏(1番右)
手話エンターテイメント発信団 oioiのパフォーマー 岡﨑伸彦氏(聴覚障がいリードユーザー。右から2番目)
ソニー社員 大石邦世(聴覚障がいリードユーザー。真ん中)
開発に参加した楽器メンターとリードユーザーの方々。左より、ミュージシャン Show氏、シシドカフカ氏、ソニー社員 大石邦世(聴覚障がいリードユーザー)、一般社団法人 手話エンターテイメント発信団 oioi 代表理事 岡﨑伸彦氏(聴覚障がいリードユーザー)、ミュージシャン 岩原大輔氏。
秋田私たち自身も疑似体験の取り組みとして、ヘッドフォンをして音が聞こえない状態でテストを行っています。でも音の聞こえない方が実際にどう感じるのかについては、当事者が体験する以外に知るすべがありません。でも「これなら一緒に音楽を楽しめますね」という言葉をいただいて、同じ喜びを共有することができた。その瞬間に、前へ進んでいるんだなという確かな手応えを感じることができました。
森澤多くの人が音楽を「みんなと一緒に楽しみたい」と思う反面、「周りに合わせるのが難しい、怖い」というハードルを感じています。そのハードルを下げるにあたって意識したのが、「自分たちがやってみて面白く、ワクワクするものを作る」ということ。つまり、"楽しさ"というポイントがまずあって、それを技術とデザインで形にしていく流れですね。インクルーシブな製品開発は往々にして「この仕様で問題ないか」というチェックリストを埋めていく作業になりがちですが、それとは異なる、新しいアプローチになったと実感しています。
楽器開発メンターからのコメント
岡﨑 伸彦氏
聴覚障がいのある楽器開発メンター
一般社団法人手話エンターテイメント発信団 oioi 代表理事
一緒にドラムを叩いている人のリズムが振動や光で伝わってくるので安心して叩けますし、合奏者と自分のリズムが合った時は最高に気持ち良いです。まるでゲームのようにどんどんハマっていきますね。
大石 邦世
聴覚障がいのある楽器開発メンター
ソニーグローバルソリューションズ株式会社
失聴後は音楽を楽しむことはもう一生できないと諦めていましたが、ハグドラムを演奏した時「音楽って楽しい!」と本当に久しぶりにワクワクしました。みんなで楽しさや興奮も共有でき、とても幸せな気持ちになりました。
このプロジェクトの今後の展望を、どう見据えていますか。
森澤音が聞こえない方や楽器が苦手な方など、さまざまな人が一緒にステージに上がって、みんなで笑顔になれる瞬間を作り出すことができたなら、誰でも一緒に楽しめる体験をデザインする上で、一つの達成点になると思います。
秋田その先の展望としては、「ゆる楽器」プロジェクトのプロデューサーであるSMEの梶 望氏の言葉が大きな目標になっています。「笑顔の数がKPI」ーーつまり、演奏する人、家族や友達、観客の方まで、自然に笑顔が生まれる新しい楽器の体験を、どう世の中に広げていくか。ハードルは高いですが、これまでの手応えを元に、一歩ずつ進んでいきたいと思います。
取材後の2024年5月11日に開催された「ゆるスポーツランド2024」にて、
即興パフォーマンスグループel tempo(エル・テンポ)さま、
手話エンターテイメント発信団 oioiさまのデモ演奏が叶いました。
当日の様子を以下の動画でご覧ください。
シシド・カフカ氏
楽器開発メンター
ミュージシャン
聴覚に頼らず、視覚や触覚によって音楽を楽しむアプローチは、とても面白い試みと感じました。さらに多くの人々と楽しさ・喜びを共有できると思うと、今から楽しみです。