ソニーは、半世紀以上にわたり業務用マイクロホンを開発してきました。1958年に発売された国内初のコンデンサーマイク「C-37A」は、当時まだ海外製が主流のなか優れた音質で高い評価を獲得し、業界で大きな話題になりました。1965年には、今なおテレビや音楽業界で使われている「C-38B」シリーズが誕生。それまでの真空管マイクロホンは電源を入れてからベストな状態になるまで40分近くかかっていましたが、これは1分ほどで実働可能。それでいて音も良いので、まさに業界のワークフローを変えた画期的なマイクになりました。
さらに1992年には、レコーディングスタジオのための真空管コンデンサーマイクロホン「C-800G」を開発し、そのクオリティーの高さからプロのミュージシャンやレコーディング・エンジニアに絶大な支持を受けました。その評価は今も変わらず、「C-800G」を使いたいとわざわざマイクを指名するアーティストも多いそうです。こうしてソニーは常に新しい技術に挑戦しながら、業務用マイクロホンにおける高い評価と信頼を築いてきました。
ソニー・太陽でマイクロホンが生産されるようになったのは1991年からです。もともとソニー・太陽には、創業者の一人である井深さんの「障がい者の特権無しの厳しさで健丈者の仕事よりも優れたものを」という理念がありました。そこで障がい者にとって体の負担が少なく、かつ付加価値の高い製品ということで業務用マイクに着目したのです。ソニーからの製造移管にあたって、ソニー・太陽では車イスで入っても検査が可能な無響室をつくるなど、障がいが製造の障壁にならないような環境を整えました。さらに1999年にカスタムセル(障がい者一人ひとりに合わせた作業台)方式が導入されると、生産性は飛躍的に高まりました。そして、この頃に「C-38B」や「C-800G」などのマイクを製造から梱包まで障がいのある社員一人で行う今のスタイルが確立されました。
「C-38B」は最初に製造されてから50年近く経ちますが、その音質が変わることはありません。長い歴史のなかで部品が製造中止になったり、環境保護のために素材が使えないという事態に直面することもありましたが、その度に新しい技術と素材を開発してクオリティーを守ってきました。またマイクの音質はとても繊細なので、一つひとつが手作りです。そこには「モノ造りマスター」と呼ばれるソニー・太陽の職人さんたちのプロの技と努力が必要不可欠。おそらくソニー・太陽から事業所を変えたら音は変わってしまうでしょう。そういう意味でもソニー・太陽に引き継いでもらえたからこそ、このクオリティーが守られているといえます。
私は30年以上もマイクロホンの設計に携わってきましたが、それはマイクが好きだからです。ソニー・太陽のみなさんもそれは同じだと思います。そしてなによりも、ソニーグループの一社員として世界の音をつくっているんだという誇りを、ソニー・太陽の社員一人ひとりが持っています。障がいがあっても、マイクづくりのプロフェッショナルとしての高い意識が行き渡っているからこそ、テレビや音楽のプロフェッショナルの現場で使われるマイクをつくり続けることができるのだと思います。
ソニー・太陽はとても働きやすい環境ですね。さまざまな配慮がされているので、不便さは感じません。“ここがいい”というより、自然に仕事に集中できる環境になっている。それが素晴らしいと思います。セルで作業するようになってからはひとつの製品をすべて自分で受け持つので、より責任を感じますし、その分厳しい中にやりがいを感じますね。また、製品への愛着も自然と出てきますし、製品一台一台に、思い入れがあるんですよ。先日も、テレビで放送されていた有名歌手のレコーディング風景に「C-800G/9X」が写っていたのを見たとき、「ああ、大事に使われているんだな」と思って本当に嬉しくなりました。
ここで20年働いていますが、最も感じるのは人の変化ですね。以前より数段、社員がレベルアップしていると思います。スキルはもちろんですが、仕事に対する考え方もレベルアップしています。いろいろな意味でプロになってきたという感じです。私が先輩たちから受け継いだ技術を維持し、発展させていくためにも、これからは後継者となる若い人たちに順次伝授していきたいと思っています。