本條 陽子
株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチアクティベーショングループ
小学生の頃、父が海外赴任することになり、一家四人で、ブラジルのベロオリゾンテという工業都市で暮らしていたことがあります。当時は1970年代後半で進出している日本企業がまだ少なく、駐在の日本人は我が家を含めて10家族ぐらいしか住んでいませんでした。日本人が珍しかったせいか、現地の人たちからは何をするのにも日本人のラベルを付けられた記憶があります。ブラジルに渡った当初は現地の小学校に通っていましたが、途中からインターナショナルスクールに転校しました。そこには、一番多いときで20カ国もの生徒が在籍していて、さまざまな国籍や人種の人たちに囲まれて過ごしました。人々が多様であれば、考え方や価値観も多様なので、それぞれが「正しい」と主張することもバラバラです。そういった価値基準がない環境で、それでも自分は日本人であるということに何の疑いも持つことなく育ちました。
ブラジルの高校を卒業したあとは、日本の大学に進学しました。母国での生活に胸を膨らませて帰国しましたが、日本の社会で違和感なく生活することは難しく、日本で出会う人々と自分の価値観には、まだまだ隔たりが多くあると感じました。多様な価値観の中で育ったことで、日本人であることを意識しすぎていたことに、あらためて気付かされました。
大学卒業後は、ソニーに入社しました。志望したきっかけは、オーディオマニアだった姉の友人たちから、就職先としてすすめられたことでした。当時からソニーは、グローバルな企業というイメージがありましたし、私はポルトガル語や英語など、複数の言語が話せたので、海外での業務に貢献できるのではないかと考えていました。また、創業者のひとりである盛田昭夫さんの著書「MADE IN JAPAN」を読んで心を打たれ、こういう会社に勤めることができたらいいなと思ったことも、志望した理由の一つです。
入社後は、当時会長だった盛田さんの秘書になり、語学のスキルを生かして海外出張や大使館関連業務のサポートをする仕事を担当しました。盛田さんが退任した後は、ものづくりの現場で仕事がしたいと思い、コンピュータディスプレイの製販マーケティング部門を経て、VAIOノート事業部に異動しました。そこでは、海外企業に製造委託(OEM・ODM)する機種のプロジェクトリーダー(PL)も経験しました。当時は、女性社員や技術系以外の社員が機種PLになるとことは稀で、私が初めてだったのではないかと思います。
その後、ソニーコンピュータサイエンス研究所(以下、CSL)でリサーチャーをしていた方から声をかけていただいたことがきっかけで、CSLに入社することになりました。その方は、研究していた位置情報に関する技術を社会実装するために独立して会社を設立し、CSLとの共同プロジェクトに参加することが初仕事となりました。私はもともとアートに興味があり、在職中に、美大の通信で学芸員の資格を取得していたこともあって、位置情報の技術をアートの分野で生かせないかと考え、東京国立博物館でのナビゲーションガイドの実証実験を提案しました。それから5年間、このプロジェクトに関わりましたが、その後も研究は続き、先日ちょうど10年で協業が無事に終了。活動成果の最終報告会にも参加させていただきました。
現在は、CSLでの広報全般に加え個々の研究員の研究成果を社会普及させたり他社とのコラボレーションをサポートする仕事をしています。CSLでは「人類の未来のための研究」をミッションとし、研究員たちは研究成果で世の中を変えていくことを目指しています。そのため、個々の研究員が自分のビジョンを持ち、それぞれの強い意志に基づいて研究を進めています。研究にはそれぞれの価値観が反映されていて、研究員の数だけ価値観が存在するCSLは、自分が育った海外の環境と重なります。こうした環境の中で仕事を進めるには、相手をリスペクトすることが大切だと考えるようになったのも、子どもの頃に多様な価値観に触れた経験があるからかもしれません。なかにはこだわりや信念を強く持った人もいて、その人とその人が大事と感じている目標をリスペクトすることを忘れなければ、コミュニケーションできると信じています。
現在私は、CSLの協生農法プロジェクトに特に携わっています。協生農法は、生態系のしくみを利用し、多種多様な有用植物※を混生・密生させて育てる農法です。それぞれが作用し合いながら成長し、土壌も自然に豊かになっていきます。地球の生態系では、水も空気も季節も生命体も、すべてのものが循環しています。その中にいると、自分と環境の境界線が、時間や状況に応じてどんどん変わっていくことを感じます。人間も生態系の一部であることは頭ではわかっていましたが、協生農法に関わるようになってから、心身で体感できるようになりました。
協生農法では農薬や肥料は一切使用せず、虫や鳥など生き物の力を活かします。しかし私はカエルが大の苦手で、どうしても仲良くなれません。その話を協生農法の研究員にすると、「本條さんの中に『カエルを排除したい』という気持ちがあるから、カエルは受け入れてもらえないのだと思う。それは別に本條さんが悪いわけではなく、心の中に普通にあることかもしれないけれど、そういった気持ちが世の中の差別や区別の起点になっているのではないか」と言われたことがあります。さまざまな分野で多様性が注目されていますが、ただ多様であるだけではなく、同時に受け入れることや許容することが必要だということに気付きました。どうしたら苦手な生き物とも友だちになれるかを考えながら、それは人間社会においても同じなのかもしれないと、最近では生態系から学ぶことも多いです。多様性のある環境では、個々に備わっているものが全然違うので、必ずしも平等であることが正しいとは限りません。それぞれが健やかに生きられる公正さが必要だと思います。
実は昨年の11月、父が転倒して歩けなくなり入院しました。母は父を介護する体力がないことの引け目から自ら食事を摂らなくなり、私は2カ月近く母の元に通って朝昼晩と食事を共にしていました。そのとき、生きる活力や明日への希望は、食べることからスタートするのではないかと思いました。それ以来、食べることを意識するようにしています。また、周囲とのつながりが希薄になり、生きる気力や自信を失っていく両親の姿を目の当たりにし、周りの生態系とつながっていることの大切さに気付きました。老いていくことは避けられませんが、周りの生態系と深くつながることは自分にもできると思い、これからは、人間と地球環境のつながりや、人間も生態系の一部であるという認識を取り戻すような活動に力を入れていきたいと思っています。
私は今、協生農法と自然の生態系の関係に魅力を感じていて、この仕事を通して、その考え方や体験方法をさまざまな国や地域の人々に広げていきたいと考えています。子どもの頃、さまざまな国の人々に囲まれていたがゆえに、帰国してからは日本人としてのアイデンティティが何かを見つめ直すことが多くなり、国籍を越えた交流が以前よりも少なくなっていました。生態系をより深く観察するようになって、自分と周囲の環境や、自分と他者の境界線に広がりを感じられるようになりました。もっと境界線が広がれば、当時とはまた違う形でダイバーシティを仕事の中や生活の中に体現できるのではないかと思っています。そして、多様であることはもちろん重要ですが、それを受け入れ、許容すること、時には無理せず受け流す寛容さを持つことの大切さや、人間を含めてさまざまな生き物が健やかに生きられる場をもっと広げていきたいと思います。