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副社長 兼 CTO(最高技術責任者)の勝本が語る、
リーダーシップの基盤になっている思想とは
左からソニー 勝本、パナソニック 望月氏、鈴木氏、阿久氏、衣川氏、ソニー 吉田
※インタビューの冒頭には会長 兼 社長 CEOの吉田 憲一郎も参加
パナソニック株式会社(以下、パナソニック)では次世代リーダーを目指す30代の社員がリーダーに必要な資質・考え方を学ぶ活動に取り組まれており、その活動の一環として、社内外のリーダーへのインタビューを実施されています。
2020年11月、ソニー株式会社(以下、ソニー)の次世代経営人材育成プログラム「ソニーユニバーシティ」の学長でもある、副社長 兼 CTO(最高技術責任者)の勝本 徹がインタビューに応じました。和やかな雰囲気の中で、リーダーが普遍的に保有している考え方についてさまざまな質問が投げかけられました。
聞き手:次世代リーダーを目指す、パナソニック株式会社の皆さん
オートモーティブ(AM)社 充電器ビジネスユニット 開発職 望月 賢人氏
インダストリアルソリューションズ(IS)社 エナジーソリューション事業部 技術職 衣川 輝将氏
エナジーテクノロジーセンター 開発職 鈴木 拡哲氏
電子材料事業部 経理職 阿久 弘樹氏
話し手:ソニー株式会社 副社長 兼 CTO(最高技術責任者) 勝本 徹
30代でのリーダー経験
パナソニック望月氏:30代でリーダーをされていたときの具体的なリーダーシップの経験を聞かせてください。
勝本:まず20代のころからお話すると、ソニーへ新入社員として入社し厚木(神奈川県厚木市)配属となりましたが、希望していた放送機器の研究開発ではなく、8ミリビデオの開発の担当となりました。磁気ヘッドでテープに書いていくアナログのハンディカム一号機を担当した後、今後やってくるデジタル化に対応するためデジタル信号処理を学ぶことになり、アメリカのカリフォルニア工科大学に一年間留学しました。
帰国後、ハンディカムの開発において、8ミリビデオのオリジナルフォーマットを高圧縮化した、「Hi-8(ハイエイト)」というフォーマットの電気リーダーを担当しました。
次にリーダーとして担当したのは、超小型のハンディカムを開発するというプロジェクトでした。この製品はソニーでリチウムイオン電池を商用化した第一号であり、バッテリーはもちろんレンズも自社製、カラーEVFも自社製、小型基板を実装するため実装機も自社製に置き換えるというビックプロジェクト。30歳になるかならないかというころで、それを立ち上げて来いと言われたんです。私が最も年上で、メンバーは皆20代という若いチームでした。そんなことを30歳そこそこの若者にポンと任せる、冒険するにも程があるというような会社なんですね。当時のソニーは、「そんなことできるの?」と考えたりせず、やらせる風土がありました。日本中駆け回り、部品メーカーや実装機のメーカーにも助けていただきながら、二年かけて商品を作りあげました。
しかし、自分としては良い製品を作れたと満足していたのですが、工場からは「製造がしにくい」という不満の声が出てきました。そこで三年間、幸田サイト(愛知県額田郡幸田町)へ製造の勉強に行くことになりました。幸田では伸び伸びと仕事をさせてもらいながらも、工場におけるスピード感を実感。毎秒毎秒大量のハンディカムを生産しているので、一部でも不良が出ると凄まじい勢いで解析して、予定数量の生産に務めます。品質面でもコスト面でもかなり厳しい要求があり、とても勉強になりました。
その頃にいよいよデジタル時代が本格的に到来。幸田三年目に、デジタルハンディカムの立ち上げをしました。この製品では量産ラインから生産設備まで一貫してデジタル化を進めました。私たち商品を作るチームと、EVFを作るチーム、電池を作るチーム、レンズを作るチーム、基板を作るチームというように、サブチームがたくさんありました。さらにEVFチームの中には液晶を作るチーム、カラーフィルターを作るチーム、接眼レンズを作るチームなどがあり、壮大なプロジェクトでした。思えば、30代の若者たちにやらせるのかと驚くような内容でしたね。
そのとき学んだのは、「できないと思わなければ、物事は成り立っていく」ということ。ソニーでは、「困難は可能のうち」と言われていて、困難はひとつずつ解決していけば、いずれは可能になると考えています。大変でしたが、諦めずにやってよかったですね。
その頃の自分たちより上の人たちの任せ方や、信じてくれるやり方、教育方法はすごいと思っています。今になって振り返ってみると、ああいった指導が良いのだなと思います。リーダーシップの取り方はいろいろありますが、その時の私のリーダーは、本当に肝が据わっていて素晴らしいと思っています。
人生観に影響を与えた出来事
パナソニック阿久氏:30代で大変な立ち上げをいろいろと取り組まれた中で、今の勝本副社長の人生観や経営観、仕事における哲学に影響を与えた出来事を教えていただけますか。
勝本:入社時は厚木に腰を据えて研究開発に没頭したいと思っていましたが、そうはならずに、いろいろなことをやってきました。60歳を超えてからようやく入社時の念願であった業務用機器やR&Dを担当することができて、今は若い人と一緒に楽しくやっています。今になってついに当初の希望が叶ったわけですが、結果的にはこれでよかったなと思っています。これまでのソニー生活で失敗も成功もありました。いろんな経験を経て、人生観の変遷があった上で、最終的に最初の志望動機が叶うということは、最初から志望が叶ってずっと同じことをやっていたよりも、良かったんじゃないかなと思っています。
私はいろいろな場所や仕事を点々としてきましたが、特に人生観に大きな影響を受けたのは、三つです。
まずは幸田サイトの経験です。事業部と工場とのものづくりのスピード感の違いを実感しました。製造は一秒一秒が勝負なので、製造ラインが流れている間はものすごく気が張っています。一部でも不良が出ると凄まじい勢いで解析して、予定数量の生産に務めます。そんなすごいスピードで仕事している人もいることを実感し、作業性が悪いなんてもってのほかだと思い知りました。ただし、定時となり、予定数量が予定品質で生産完了すれば、残業は全くありません。そこが設計開発と違うところで、激しい勤務時間と穏やかな業務後のメリハリがある生活でした。
私が幸田にいた頃に不況となり、技術職も含めた残業禁止を申し渡され、定時になると全館のシャッターを下ろすことになりました。皆、「大変なことになるぞ」と文句を言っていましたが、実際には何も起こらなかった。予定通り、仕事はちゃんと回りました。今、コロナ禍でテレワークで仕事をする方が増えていますが、ちゃんと会社が回っているのと同じようなことかもしれません。強制的にそうなってみると、実は信じていたものが真実ではなかったことがわかる、ということがけっこうあるんだなと分かりました。そこでその時、今後は不要な残業をやめようと決意し、実際にその後、今に至るまで残業は基本的にしていません。その代わり、いろんなところに行っていろんな人と会ったり、友人を増やしたり勉強したりしています。仕事も、「自分は若いころにあんなに任せてもらったじゃないか」と振り返り、部下に任せてみようと切り替えるようになりました。それが人生観の変遷の中でも特に大きかったですね。
次にインパクトが大きかったのはイギリス赴任で、一緒に働いていた人たちから受けた影響が大きかったです。いろんな国籍の人が一緒に仕事をしていたので、初めは全く意見が合いません。それこそがダイバーシティなんですよね。とはいえ、全員の意見を聞くことはできないので、毎日のミーティングでは本当に揉めました。日本の場合は往々にして、皆の意見の平均値を取ることで皆が幸せになれると信じて物事を進めようとする傾向がありますが、せっかくのダイバーシティでいろいろな意見が出ているのに、平均化してしまっては意味がないんです。それにある日気づきました。
それぞれが意見を出してくれたことに感謝をしながらも、皆に思っていることをオープンに語り合い、一番極端だけれども一番コンペティティブな案を選択するようになりました。それはつらい作業ですが、それをするのがマネジメントでありリーダーシップなのかなと、その時、思うようになりました。それで結果がよければ、皆で喜ぶことができます。せっかく皆で集まっているのに、平均値を取ってしまうと毎回そんなに意見が変わらないので、競争力がある案にはならないんです。そういう、極端だけどもコンペティティブな案を取ることがダイバーシティの本質だと思っていて、それに気づかせてくれたのがこのときのヨーロッパの経験でした。
最後はソニー・オリンパスメディカルソリューションズの代表取締役社長就任です。電子物理学出身の電気エンジニアが医療をやることになったわけですから、これもインパクトがありました。
また、世界中の販売の経験や世界中のものづくりの経験などを経てきましたが、ソニー社員同士であれば、会社が持っている文化、共通点が必ずありました。それがオリンパスをはじめ他の文化の人と仕事をすると、日本人同士であっても、海外のソニーの人に対して感じる以上の距離を感じるんです。やはり個々の会社が持っている文化があり、何十年の歴史があるので会社中に浸透しています。それをオリンパスに行って思い知りました。
その三つの経験を経て学んできたことを、今、若い人たちに語るようにしています。
現在のリーダーシップのきっかけ
パナソニック衣川氏:御社のホームページでR&Dセンターを立ち上げられたというお話を拝見し、海外ラボのヘッドを入れ替えるなど、すごく画期的なことをされておられると関心を持ちました。このような改革に取り組まれているのは、若いころからこのようにしたいというようなビジョンを持たれていたのか、お伺いできますでしょうか。
勝本:今のR&Dセンターの形を作っていく上で、きっかけとしては若いころの第二開発部への憧れが大きいですね。
ソニー本社が御殿山(東京都品川区)にあった頃に本社内に開発研究所があり、特に「第二開発部」というところから、テープレコーダー、トランジスタラジオ、テレビなどの次々とヒット製品が生まれました。ハンディカム®もプロトタイプはここで開発されました。非常に自由な雰囲気で、井深さんが「あんなもの出来ないか」と言っては若いメンバーがあれこれ言いながら作るという感じで、新人と社長の間にレイヤーの差を感じたことがありませんでした。
私が入社した頃はそこまで会社が大きくありませんでしたが、その後どんどん会社が大きくなってきました。30代から40代になった頃には組織がピラミッドになっていき、隣でやっていることには関心がないという感じになりつつありました。2018年にR&Dセンターに着任した時、昔の第二開発部をイメージしながら来たのですが、事業本部、部門、部、課で構成されたピラミッド構造になっていて、トップダウンの組織になっていました。
そこで私は着任以降、その組織体制を大きく変更し、本部や部門のレイヤーを無くしてR&Dセンターの直下に部を横に並べ、海外ラボも同じように並べました。さらに、部の名前は取ってしまいました。最初は戸惑いもあったと思いますが、「例えば、ハンディカム事業部という名前だとハンディカムしか作らないでしょう?」と分かりやすい例をあげながら、理解してもらいました。やはり時代とともに技術が変わっていく中で、部の名前に固執していると発想がそこから出なくなってしまう。部署名にこだわらず、案件によってプロジェクトを組み立ててどの部からでも参加できるようにし、皆でやっていこうという考えです。
今では私がR&Dセンターを歩いているといろんな人が気軽に声をかけてくれて、レイヤーに関わらず皆で好きなことを話してくれます。それが、私が遠い昔に第二開発部で見た風景なんですね。少しずつ変わってきています。
しかし、これを変えるのは結構大変でした。R&Dセンターに着任すると、「ご意向伺い」という会議が入っていました。しかしトップダウンに慣れている組織で、私が意向を一言でも発したらどうなるかと言うと、私が言った通りに全員がやろうとする。トップが言ったことをやっていれば安全。勝本さんが言うとおりにやれば少なくとも勝本さんには怒られない。失敗しても、「勝本さんがそう言ったから」と言える。ピラミッド構造でそんな文化になっていたんですね。
そこで初めての全体会同で、「初めてご意向を言います。“ご意向伺いをしない”のが私のご意向です。自分で考えてやってください」と言いました。各レイヤーのマネジメントと何度も話し合いを重ね、だんだんと皆、自分の担当のことだけではなく全体を見たらもっとうまくいくという考えになってきました。
リーダーシップの考え方とは
パナソニック鈴木氏:規模感に対して求められるリーダーシップの違いとはどのようなものでしょうか。規模が大きくなるに従って求められることが変わってくると思いますが、それに対するリーダーシップに関する考え方をお聞かせいただけますか。
勝本:最初に機種のリーダーになったときは肩に力が入っていたので、すべて仕切って皆を正しいところへ導かなければならないと思っていましたし、部下が解けない問題は自分も行って解いてあげたり、深夜まで会社に残って頑張ったりしていました。しかし、先ほどの第二開発部の話とつながってくるのですが、これは部下の成長を支援するのではなく阻んでいるのではと気づき、任せなければいけないと思うようになりました。
また、残業しなくなってその時間を使っていろんなところに行き勉強してみると、リーダーシップも時代とともに変遷していて、特に最近は強いトップがひとりいるトップダウン型は通用しなくなってきているということを強く感じます。ダイバーシティの醍醐味はいろんな意見が出て、その中で一番極端なものに強い施策が隠れているというところだと考えると、強いトップがトップダウン型だと、トップの力量次第でその下の人たちの仕事が決まってしまいます。特にR&Dにおいては、それではいけないと考えています。
そこで、リーダークラスのダイバーシティに富んだメンバーで「リーダーシップチーム」を構成し、さまざまな考え方で意見を出し合い、最後に極端な意見をピックアップするという方式にしています。トップダウンではなく、信頼して任せていろんな意見が出るような形にしていくというのが必要な時代だと思います。変わっていくときには忍耐が必要ですが、すごく大事だと思っています。
皆さんくらいの年代で、ちょうど仕事が大きくなっていくときだと思いますが、社内のことだけをやっている人は、その後、あまり伸びないように感じています。自分からどんどん外に出ていかないと、内部議論ばかりやっていて世の中が見えなくなっていることが多い。それだと、リーダーシップが取れるかと言うと、難しいと思うんですね。いくら社内をうまくまとめるためのリーダーシップを発揮しても、会社が強くなっていかなければ意味がない。外を勉強して、外で一番強い人たちをよく勉強して、自分の会社に合った方法で強くしていく。そのためには、リーダークラスの人はあまり会社内にばかりいてはいけないと思うんです。
R&Dセンターのリーダーには、どんどん外に出て、世の中を知っていろんな可能性を見つけて、協業やオープンイノベーションの可能性を模索しながら、ソニーに一番合ったやり方でいろんな研究開発をし、ソニーグループに貢献していってほしいと伝えています。
パナソニックの皆さん:本日はありがとうございました。