Cutting Edge
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浅田 宏平
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土谷 慎平
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中島 伊智郎
一度は凍結した開発が10年以上経て実を結ぶ
今やノイズキャンセリング(以下NC)の分野で、確固としたポジションを築いているソニー。しかし、その道のりは長く険しいものでした。ソニーが世界初の民生用のアナログNCヘッドホンを発売したのは、1995年のこと。R&Dセンター(当時の総合研究所)では並行してデジタルNC技術の開発もしていたものの、デジタル信号処理を行うプロセッサー(以下DSP)の性能や消費電力に課題が多く、研究を中断することになりました。93年から開発に携わっていた浅田は、こう振り返ります。「この頃からデジタルNCならヘッドホンの音質をさらに進化できるとわかっていたので、いつか再挑戦したいと可能性を信じ続けてきました」。
そして2006年、浅田に再びチャンスが訪れます。DSPやドライバーユニットの性能、音響技術などが向上したため、デジタルNCプロジェクトが再度立ち上がったのです。「私自身もAVアンプのデジタル技術などを蓄えていたので、今ならできると思いました。NC性能と音質の両立という課題を、デジタル技術によって突破したいという気持ちでした」。
「騒音下でも良い音を」という浅田の思いが実を結び、2008年、世界初のデジタルNCヘッドホン『MDR-NC500D』(写真下)が誕生。以降NCヘッドホンのデジタル化が加速していきます。
三位一体の開発で他社との差異化を図る
そもそもNCとは、どのような技術なのでしょうか。浅田は「周囲からの騒音に対して逆位相の信号を重ねてノイズを打ち消す技術」と説明します。「重要なのは、ハウジングの隙間から漏れ込んできた外音に対し、鼓膜の位置で音を消すよう信号を送ること。しかも騒音(ノイズ)は止まってくれないため、リアルタイムで処理を行わなければなりません。アナログでは複雑な処理ができませんが、デジタルなら精密なNC信号を送り、ノイズを残さず消音できます」。
音質も、アナログNCヘッドホンに比べてはるかに向上しました。商品設計を行う中島も「ヘッドホンは、良い音を鳴らすことが大前提。デジタルNCでは、アナログNCでは実現できなかった高音質に到達できました」と語ります。
NCヘッドホンのデジタル化が加速する中、R&Dセンターと商品設計部門の連携体制も強化された、と土谷は振り返ります。「NC性能を十分に発揮するには、ヘッドホンの特性も重要です。ドライバーユニット、ハウジングの構造、電気回路については商品設計部門が、DSPとソフトウェアに関してはわれわれが担当し、意見をぶつけ合いながら密に開発を進めました」。
こうした”音響・ハード・ソフトの三位一体の開発”こそ、ソニーの強みだと中島は話します。「ソニーはドライバーユニットもDSPもすべて自社で開発しています。だからこそ、他社との差異化ができるのです。また、ヘッドホンはデザインも重要ですが、デザインによってはNCの性能を落としかねません。開発の初期段階で『ここは譲れない』という条件を提示し、そのうえでデザインするというフローをつくったことで、NC性能を最大限に引き出せるようになりました」。
NC技術のさらなる進化をめざし、社内にワーキンググループを立ち上げ、部署の垣根を越えて情報を共有しているとのこと。「さまざまな部署からの相談を受け付ける、コンサルタントのような役割も担っています。幅広い領域で、NC技術のニーズがあると実感しています」と土谷は話します。
NC性能の新たな到達点ワイヤレスNCステレオヘッドセット
『WH-1000XM3』
最新機種『WH-1000XM3』では、業界最高クラス※のNC性能を実現。浅田とともにNC技術を開発する土谷も、自信を覗かせます。「新たなNCのアルゴリズムを開発し、商品設計部門とともに新しいLSIを開発しました。それが『高音質NCプロセッサー QN1』。NCの処理能力が前モデルより向上したことで、性能も新たな高みに到達しました」。
『WH-1000XM3』は、土谷が開発した、ユーザーの状態に合わせてNC機能を最適化する「NCオプティマイザー」を搭載しています。ヘッドホン装着後にNCボタンを長押しすると、試験信号音を再生し、装着時の個人差(髪型、メガネの有無、装着ズレなど)を数秒で検出。ユーザー一人ひとりに合わせてNC特性を最適化します。浅田は語ります。「最初にデジタルNCヘッドホンを開発した際、『”考える”ヘッドホンをつくりたい』という思いがありました。徐々に実現に近づいてきていると思います」。
このような性能や特性が評価され、『WH-1000XM3』は、2020年3月15日よりANAの国際線ファーストクラス全路線に配備されることになりました。
https://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/202002/20-0225/
邪道と思われる技術も10年後には王道に
NC技術の開発について、土谷はこう話します。「本来オーディオにおける音楽信号は、原音を忠実に再生することが重要とされます。NCヘッドホンは音楽信号とともにノイズを打ち消す信号も再生するため、邪道といえるかもしれません。でも、良い音を楽しんでほしいという思いはわれわれも同じです」。浅田も「今は邪道と思われる技術も、良い技術であれば10年後には王道になるかもしれません。R&Dセンターでも、邪道でも尖った開発をしていきたいです」と同意します。
さらに、「開発において大切なのは、いろいろなことに興味を持ち、俯瞰して見ること」と浅田。「幅広い分野に興味を持てば、それらを結び付けて新しい技術が生まれるかもしれません。デジタルNC技術も、世に出るまで約15年かかりました。視野を広く持ちつつ、絶対に成し遂げたい技術に関しては粘り強く続けることも重要ですね」。
※ヘッドバンド型ワイヤレスノイズキャンセリングヘッドホン市場において。2019年12月1日時点、ソニー調べ、電子情報技術産業協会(JEITA)基準に則る。