「手を動かして考える」文化がキャリアを変えた。同期との出会いが呼び起こした越境マインド。
人生を大きく変化させたり、新たな価値観を手に入れたりするきっかけとなる“ターニングポイント”。今回は、ソニー社員のターニングポイントを探るべく、ソニー株式会社 新規ビジネス・技術開発本部に所属する南翔太さんにインタビューしました。社内募集制度を利用し、経営管理から新規事業開発を行う部署へ異動した経験を持つ南さんですが、他にもターニングポイントがあるのだとか…。大きなキャリアチェンジを経た南さんのお話をうかがいました。
*社内募集制度…新しい挑戦をしたいという個人の意志により自ら手を挙げ、希望する部署やポストに応募できる制度。(所属部署に2年以上在籍している社員が対象)
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- 南 翔太
- ソニー株式会社 新規ビジネス・技術開発本部 事業開発戦略部門
- 2018年に新卒で経営管理部門に配属。2年目からはソフトウェア関連の新規事業開発部門を兼務。入社4年目には社内募集制度を利用し、新規ビジネス・技術開発本部・事業開発戦略部門に異動。
同期と出会って抱いた、テクノロジーへの興味
—南さんは入社4年目に社内募集制度を使って部署異動を経験されていますね。
そうですね。経歴としては、新卒で経営管理部門に入り、3年間働いていました。その間に、実は2年目からソフトウェア関連の新規事業開発部門との兼務もしていて。3年目の終わりには新規事業の方をメインでやりたいと思って、4年目に部署異動の形を取りました。
—兼務ですか?
私は事務系職種と技術系職種の間での兼務をしていました。珍しいケースかもしれません。
—すごいキャリアですね。今回の企画テーマは「仕事でのターニングポイント」なのですが、ご自身にとって分岐点だったと言えるような仕事上の経験は、その兼務がついたタイミングでしょうか。
自分の中では、ポイントは大きく2つあると思っています。1つ目は新卒の入社後すぐのタイミングで、2つ目が兼務のついたタイミングです。
—入社後すぐにも大きな転換点を迎えていたんですね。
そうですね。私は大学では経済を学び、事務系職種で入社し、テクノロジーに関しては詳しくありませんでした。配属された事業会社では、同期のほとんどはエンジニアでした。
—いきなり専門が違う人たちと関わることになったんですね。
エンジニアの同期と話していると、自分がよく知らないことを話していて興味を持ちました。分からないことも「ちょっと教えてもらおう」と思って、実際彼らに教えてもらって。モノを作ったりして遊んでいましたね。
—専門が異なる技術系職種の人たちと積極的に関わっていけるのはすごいことだと思います。
確かに、優秀なソフトウェアエンジニアにプログラミングについて教えてらえるというのは、ソニーの環境ならではのことだったと思いますね。
—実際会社に入って技術の分野に触れることで、興味を持っていかれたんですね。
そうですね。社会で増すソフトウェアの重要性は理解していたものの、自分が主体的に関わっている状況ではなかったので。やはり会社に入って、同期と出会って、知っていったということが大きかったです。
興味本意で始めたプログラミングで、活躍の枠が広がった
—そして、兼務がついたのが2つ目のターニングポイントということでしたね。
はい、でも経緯は結構独特だったのかなと思っています。
—その経緯について具体的に教えて下さい。
私、仕事をしながら音楽を聞きたいと思っていたんですよ。ストリーミングで音楽を流しながら、気に入った曲に“いいね”をして選曲機能を育てるということをやりたくて。でも、しょっちゅうスマホを出して操作をしていると「遊んでいるな」と思われるかもしれないですよね。そこで、「これは自動化だ」と思い立って、プログラムを書くことにしました。
—その発想に至るのがすごいです。どんな風に自動化したのですか?
ストリーミングサービスのプログラムを触って、IoTボタンと連携させることで、ボタンを押したら聞いている曲が“いいね”されるというような機能を作りました。先輩からも「何を作っているの?」と聞かれて、面白がってくれました。それ以来、「経営管理で会社に入り、自分でプログラムを書いている社員がいるらしい」と周知されるようになっていって。とある飲み会で、「兼務をつけたらどうか」という話になり、そこからソフトウェア関連の新規開発をやっている部門の上司に話が伝わり、兼務がついたという経緯です。
—興味本位でやっていたことが、新たに活躍の枠を広げることにつながったのですね。
面白がってやっていたプログラミングが、実際に仕事の中でつながり始めたのは、大きな転換点でしたね。私のように、変わったことをしている人を面白がってくれる人がいる環境は、ありがたかったなと思っています。
転換点は、「手を動かしてなんぼ」のカルチャーに触れたこと
—文系と理系では、専門が違うからこそ壁を感じてしまう部分もあるのではないかと思います。そういった壁は南さんにとっては低かったのでしょうか。
低かったと思いますね。大学時代は経済学部でしたが、高校までは理系でした。数学やプログラミングという部分を、それほど嫌悪感なく受け入れられたというのはあると思います。
—とはいえ、事務系職種で入社している中で、技術系の仕事を扱うというのは、かなり高いハードルのように感じるのですが。
そこは同期の存在が大きかったです。私は元からいろいろなことに興味を持つ方ではあったので、周りの人たちが技術系の話をしている時に、面白そうだなと感じ始められたことは起点でした。エンジニアの同期に出会って、「手を動かしてなんぼ」というカルチャーを知りました。そこで、プログラム作って動かしてみようと思えたというのは、大きな経験でしたね。
長期的なキャリアは、決めなくたっていい
—その後4年目で、新規事業開発を担う部署に異動になったという経緯ですね。
実は経営管理では、3年でローテーションを行うことが基本でした。当時の私はちょうど入社して3年目の節目で、担当していた新規開発の仕事からも離れてしまうという現実を前に、どうしようかなと思っていました。
—悩んだ結果、どうなったのでしょう?
経営管理も新規事業開発も両方やっている中で、新規事業をやっている時の方がより楽しいと感じるし、適性としても価値が出せると感じていたので。社内異動によって新規事業開発を続けていくことを選びました。
—そういった大きなキャリアチェンジを迎える中で、キャリアに対する考え方も変わりましたか?
変わった点は2つありますね。1点目は、長期的なキャリアは考えなくていいかなということですね。特に自分の場合は、「経営戦略をやりたい!」と言ってソニーに入ってから、技術に触れるのが楽しくて「プロダクトを作りたい」という方向に気持ちが向いていったので。ある時点の自分が思っている長期の計画というのは、前提が当然のように変わるものだなと感じました。2点目は手を動かしたいと考えるようになったことです。自分の場合は、実際に技術を学んでモノを作っていたところに、目を付けてもらえたというのがきっかけとしてあります。そういった「理屈で考えるだけでなく、手を動かしながら物事を進めていく」というのは、自分自身が大切にしていきたいと思う考え方です。
—ガチガチにキャリアを決めるというより、自分の心が向く方向に従うというのを、大切に考えているということでしょうか。
多くの人にとって会社は、入社前と入社後で明らかに見えるものが違うし、各職種が何をやっているかも働いてみるまで全く分からないと思うんですよね。なので、仕事をしながら見える景色が変わる中で、将来のことを都度考えていくというのは、大切な姿勢かなと思っています。
<編集部のDiscover>
エンジニアの同期との出会いと、兼務という大きな2つのターニングポイントを経験された南さん。そんな南さんの経験からは、「キャリアを常に考える姿勢」と「手を動かしながら物事を進める」ことの大切さを学ぶことができました。どんな環境に行っても自分の役割を固定しすぎないことが、新たなキャリアを切り拓く秘訣なのかもしれません。